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<9年目の決断 福島・大熊>(中)「戻らない」山本三起子さん(68)/国策再び町民翻弄

大熊の自宅を描いた自作の絵を眺める山本さん。庭いっぱいに育てていたバラを再建した自宅にも植え、古里の記憶を紡ぐ

 大熊で生まれ育った。夫を婿養子に迎えて、家と墓を守ってきた。そんな人生が一変した。
 2011年3月の東京電力福島第1原発事故。町民対応に追われ、帰宅できない町役場勤務の娘夫婦に代わり、幼い孫2人を連れて夫と一緒に避難した。田村市の体育館で孫は夜泣きがやまず、おむつのお尻は真っ赤だった。
 「何とかしないと」。会津若松市の知人宅を経て会津美里町、再び会津若松市と引っ越しを繰り返し、借家暮らしで落ち着かない日々が続いた。

<通院続く>
 異変が現れたのはその頃だ。味を感じない、音が聞こえない、目も見えない。パニックに陥った。夏には歩くこともままならず、車いすが必要になった。適応障害と診断された。
 「大熊にすぐ帰れると思っていた。それが、いつ帰れるか分からない状況になって。原発事故後、ずっと眠れなかった」
 だいぶ回復したが、今なお通院は続く。大熊以外で暮らしたことがない生粋の大熊人。環境の激変が心と体をむしばんだ。
 自宅があった町中心部の大野地区は帰還困難区域になった。墓参の際に立ち寄る自宅は少しも変わっていない。周囲の家々と異なりイノシシ被害もなく、すぐに帰れる気がする。
 「でも、元と同じ町には戻らないよね」。町の現実を直視し、気持ちを切り替えようと会津若松市内に2年前、自宅を再建した。

<揺れる心>
 国は、除染とインフラ整備を一体的に行って帰還困難区域に居住エリアをつくる「特定復興再生拠点区域」の新制度を打ち出した。大野地区が含まれることになったのは自宅再建後。「戻らない」と決めた直後、「え? 戻れるの?」。また、心がぐらついた。
 「戻る、戻らないの気持ちは行ったり来たり。今も胸がざわざわする。モノの復興は進んでも、人の心の復興はまだまだだ」
 出稼ぎが当然の寒村は高度経済成長期、原発立地とともに潤った。安全安心と信じた原発が未曽有の事故を起こし、全てを失った。
 国策に翻弄(ほんろう)された町を追われた町民もまた、先が読めない国の帰還施策に振り回されるかのようだ。
 「死んだら大熊の墓に入ろう」。そう考えるようになり、少し楽になった。


2019年04月08日月曜日


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