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<あなたに伝えたい>孫と遊ぶ姿 懐かしく

親族と徳子さんの思い出を語り合う敏夫さん(左端)と末美さん(右)

◎庄子末美さん、敏夫さん(仙台市若林区)から徳子さんへ

 末美さん 「長男の嫁がいないから捜してくる」。それが最後の言葉でした。頭巾をかぶり、長靴を履いた姿が脳裏に焼き付いています。孫2人を守るのに手いっぱいで、母を助ける余裕がありませんでした。「2階に逃げて」と声を張り上げましたが、母は逃げようとしませんでした。
 母は面倒見が良く、PTAの役員など人が嫌がる仕事を率先して引き受けていました。責任感の強さを、尊敬していました。
 震災後、親族で集まる機会が減りました。母が親族をまとめていたのだと日々、感じています。庭で孫たちとバレーボールやバドミントンをしていた母の姿が懐かしく思い出されます。
 母さん、天国でも元気でいますか。お父さんと仲良くやってくださいね。
 敏夫さん 震災翌日から実家を捜索し、2日後に母屋の奥で泥に埋まっていた母を見つけました。本人確認に時間を要したため、遺体を数日、放置しなければならなかったことが残念です。
 震災発生後に連絡を取った際、母は「ビニールハウスの中で孫たちと一緒に寝るんだ」と楽しげに話していました。まさか津波にのまれるとは思いませんでした。私も母も「ここまで津波は来ない」と甘い考えを持っていました。
 母は農家の長男に嫁入りしたため、大変苦労した人生だったと思います。親族の集まりや農繁期に来るお手伝いさんのもてなしなど、毎日大忙しでした。寝たきりになった父の介護も、父が亡くなるまで手を抜きませんでした。
 そんな中で私たちきょうだいを育ててくれたのだから、本当にありがたいです。親孝行できなかったことだけが悔やまれます。
 母さん、お疲れさま。育ててくれてありがとう。

◎あのとき何が

 仙台市若林区荒浜で親族と共に暮らす庄子末美さん(68)と義弟の敏夫さん(62)は東日本大震災で、母の徳子さん=当時(87)=を亡くした。孫2人を連れて自宅敷地内の作業場に避難していた末美さんの目の前で、徳子さんは津波に襲われた。


2019年04月11日木曜日


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