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<奥羽の義>番外編・列藩同盟群像(2)紳士的な振る舞いに称賛

田園地帯を大きく蛇行する雄物川。酒井玄蕃が新政府軍本陣を背後から奇襲して破った渡河作戦の舞台となった=2018年11月25日、秋田市
明治維新後、洋装の酒井玄蕃。推定1872年4月撮影(致道博物館蔵)

◎庄内藩中老 酒井玄蕃

 庄内藩中老の酒井玄蕃(げんば)は、同藩2番大隊を率いて無類の強さを誇り、「鬼玄蕃」の異名を取った。冷静沈着で戦術に優れ、同隊の軍旗を見ると敵が逃げ出すと言われたほどだった。戦場での紳士的な振る舞いが敵味方なく称賛され、漢詩を愛する風流人でもあった。
 強さと慈悲深さを示す逸話には事欠かない。庄内藩を中心とする奥羽列藩同盟軍が秋田藩の横手城を攻めた戦いもその一例だ。同盟軍の襲来を聞いた新政府軍の主力は既に逃げ去っており、城代の戸村大学と100人ほどの兵だけが籠城していた。
 戸村の父は秋田藩が新政府側に寝返る前、同藩の列藩同盟入りを主導した。そうした経緯を知る玄蕃はすぐには攻撃せず、使者を送り、投降を勧めた。戸村は応ぜず、藩主のために戦い、敗れる道を選んだ。力尽き、裏門から脱出した戸村を庄内軍はあえて追わなかったとされる。
 玄蕃は「彼らも主君のために死力を尽くしたのだ」と横手兵をたたえ、戦死者を丁重に葬るように指示。費用も負担した。庄内軍が降伏後、退却のため横手を通ると、住民から歓待を受けたという。「戊辰役戦史」(大山柏著)はこの逸話を「奥羽戦を飾る花」と紹介している。
 新庄を攻めたときには、玄蕃の下に12歳の少年が連行されてきた。少年の従者が褒美目当てに裏切り、身柄を売り渡しに来たのだ。玄蕃は少年を哀れみ、縄を解くと、路銀を持たせて釈放。従者にも賞金を与えて帰した。念のため部下に追跡させると、従者は道中で少年から金を奪い行方をくらましていた。部下は少年を連れて戻り、必ず家族の下に帰すよう地元の庄屋に指示した。
 玄蕃はこの出来事を嘆き、「世が乱れるとき、人心はこうも荒むのか」と漢詩に詠んだ。後に、この少年は太平洋戦争末期の首相小磯国昭(父が新庄藩士)のおじだと、小磯が自伝で明らかにした。
 玄蕃は陣中で兵と同じものを食べ、雨が降れば部下を先に宿舎に入れた。偵察隊を出せば帰陣するまで夜通し待った。略奪行為は当然ご法度。行動がいちいちスマートだ。
 戦術では奇襲が目立つ。雄物川を大きく迂回(うかい)して新政府軍本隊の背後を取り、挟み撃ちした神宮寺(大仙市)の戦いなどが典型だ。1番大隊を率いる松平甚三郎は主に正攻法だったと言われ、致道博物館(鶴岡市)学芸員の菅原義勝さん(32)は「2人は両輪として強さを発揮した」と説明する。「玄蕃は強いというより、とにかく頭が切れる印象です」(菅原さん)。
 明治以降では大泉県(現在の山形県庄内地方)権大参事に就任。新政府の兵部省にも出仕した。1874(明治7)年に政府の密命で清国を偵察。政府に提出した報告書「北清視察戦略」は、清国に攻め込む場合、海上輸送手段や国土の広大さ、食糧確保など10の困難があり、勝利には多数の兵力と経費を要すると指摘した。暗に「やめた方がいい」と言っているようにも読める。
 指摘は約80年後、日中戦争が泥沼化し現実となった。優れた知略は日本の行く末を見通していたのかもしれない。玄蕃は戊辰戦争前から肺疾患があり、76年に東京で病没した。まだ33歳だった。(文・酒井原雄平 写真・鹿野智裕)

1842年 庄内藩家老の家に生まれる
 52年ごろ 藩校致道館入学
 57年 長沼流兵法を学ぶ
 62年 新九流兵法免許皆伝
 63年 庄内藩が江戸市中取締役に就いたのに伴い江戸詰となる
 64年 大砲長任命
 66年 近習頭に就く
 67年 組頭となる
 68年 戊辰戦争勃発。中老就任。2番大隊長として天童、新庄、大曲などで連勝。庄内藩降伏
 71年 大泉県権大参事に就任。兵部省に出仕
 72年 病気のため兵部省を辞職。熱海で療養。大山格之助と会見
 74年 鹿児島で西郷隆盛と会う。政府密命で清国を偵察。天津、北京、上海などを巡り報告書「北清視察戦略」を提出
 75年 肺疾患が悪化
 76年 東京で死去。墓は谷中霊園にある

<メモ>新政府が仙台に派遣した奥羽鎮撫(ちんぶ)総督府の下参謀・大山格之助(薩摩藩出身)は1872(明治5)年、東京で初めて酒井玄蕃と顔を合わせた。2人は戊辰戦争中、山形、秋田方面で何度も対戦した。「酒井玄蕃の明治」(荘内人物史研究会)によると、大山は「あれほど苦しめられた鬼玄蕃が、かくも温和で婦人のような『よかちご』(美少年)だったとは」と驚いた。一方、玄蕃も「想像と違い、至って上品な人だった」と大山の印象を知人に宛てた手紙に記している。大山はその5年後、西南戦争で西郷隆盛を支援した罪で斬首された。


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2019年04月21日日曜日


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