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<山元町教委>坂元城下の変遷伝える 最古の絵図確認

最古の坂元城絵図と判明した「大條家御家中絵図」

 江戸時代に山元町坂元地区を治めた伊達家の家臣大條(おおえだ)家の拠点だった坂元城城下の様子を記した最古の絵図が見つかった。調査を進めてきた山元町教委は「学術的な価値が高い史料」と話している。
 見つかった絵図「大條家御家中絵図」は1642(寛永19)年作成で、これまで最も古かった1687(貞享4)年の絵図を半世紀さかのぼる。縦100センチ、横137センチで11枚の和紙が貼り合わせてある。坂元城や家臣の屋敷配置、名前、家格が詳細に記されている。
 大條家重臣の子孫が2018年9月、町に寄贈し、町教委が調べていた。
 これまで最古だった貞享版絵図「亘理郡坂本要害屋敷惣絵図」は県指定文化財で県図書館が所蔵。地割、道路は明治維新を経て現在に至るまで約330年間、変わっていない。このため、坂元城下は16世紀後半の築城以来、区画に変更はなかったと考えられてきた。
 今回見つかった寛永版では、貞享版に記載のある家臣屋敷の一部が寺や空き地となっており、未整備の道も確認された。両絵図が描かれた45年間は幕藩体制が確立される時期と重なり、坂元城下では武家屋敷の領域が拡大し、町づくりが急速に進んだことが分かる。
 寄贈されたのは寛永版と、1644〜84年に作成された絵図の一部、貞享版控え図の3点。これらを総合すると、城下の変遷や家臣の配置換えがより詳しく分かるという。山元町教委の担当者は「仙台藩の各地域の管理体制や、大條家ら重臣とその家臣団の雇用関係の解明につながる」と強調する。
 町教委は絵図を修復し、来年度、町歴史民俗資料館で展示する方針。

[坂元城]17世紀半ばまでは坂本城と表記。坂元要害、蓑首(みのくび)城とも呼ばれる。1572年に築城され、大條氏は仙台藩主伊達政宗の命により1616年から幕末まで居城とした。現在は本丸跡に坂元神社があり、二の丸に坂元小がある。


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2019年04月22日月曜日


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