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<平成の東北・30年の軌跡>(4)農業/押し寄せる自由化の波 大凶作機にコメ部分開放

冷害に見舞われた宮城県若柳町(現栗原市)。穂は出そろっても実りは乏しかった=1993年8月29日
本格デビューしただて正夢の特設売り場。ブランド米の産地間競争は激しさを増す=2018年10月24日、仙台市宮城野区のみやぎ生協幸町店

 平成の大凶作がコメ自由化の扉をこじ開けた。
 1993年、記録的冷夏が東北を襲った。やませの影響を受けた宮城のコメ作況指数は37、岩手が30、青森28。戦後最悪だった。
 小売店などに消費者が殺到し、店頭から国産米が消えた。「平成の米騒動」と呼ばれる事態を受け、政府はタイ米などの緊急輸入に踏み切った。

<崩れた政府統制>
 折しもコメの市場開放を求める外圧が高まっていた。政府は関税貿易一般協定(ガット)ウルグアイ・ラウンドに合意。コメの部分開放を受け入れた。「結果的に緊急輸入が『アリの一穴』になった」。当時を知る東北の農協関係者は口をそろえる。
 押し寄せる自由化の波に、半世紀続いたコメの政府統制は崩れた。戦時下に制定された食糧管理法は95年に廃止。新食糧法が施行され、コメ農家の「作る自由、売る自由」を認めた。
 過剰生産による値崩れを懸念した国は生産調整(減反)を維持したが、米価低迷に歯止めはかからない。担い手不足もあり、東北の作付面積(青刈りを含む)は30年間で11万5000ヘクタール減った。
 減反は平成の終わりに幕を閉じ、コメ政策は大きな転機を迎えた。従来の国の生産目標に代わる目安を生産現場が独自に設定するなど、試行錯誤が続く。
 投資や貿易の障壁を取り払う環太平洋連携協定(TPP)も2018年に11カ国で発効した。伊藤房雄東北大大学院農学研究科教授(農業経営経済学)は「国は平成に軟着陸を繰り返しながらコメの自由化・市場化を進めた」と指摘する。

<進むブランド化>
 この30年で国内のコメ消費量が200万トン減った一方、嗜好(しこう)の細分化が進んだ。売れるコメを追い求め、産地は良食味のブランド米開発にひた走る。東北でもつや姫(山形県)を筆頭に青天の霹靂(へきれき)(青森県)、昨年本格デビューしただて正夢(宮城県)といった高価格帯の新銘柄が次々と市場に投入された。
 国内から海外にまで広がりつつある産地間競争。生き残りを懸けたコメ農家の闘いは、新時代に引き継がれる。


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2019年04月22日月曜日


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