宮城のニュース

<平成の東北・30年の軌跡>(6)プロ球団/仙台拠点3チーム誕生 「不毛の地」レッテル返上

2001年11月、京都戦の試合終了間際にゴールを決め、チームを初のJ1昇格に導いた仙台・財前宣之(左から3人目)=京都市西京極陸上競技場

 仙台が「プロスポーツ不毛の地」と呼ばれていたことを、平成生まれの人たちに信じてもらえるだろうか。1977年、プロ野球ロッテオリオンズが仙台を去ってから不名誉なレッテルを張られた時期があった。

<ベガルタが風穴>
 風穴を開けたのはサッカーのベガルタ仙台だ。
 前身は東北電力サッカー部。1993年のJリーグ開幕を追い風に、東北でもプロサッカークラブ創設の機運が高まった。旗振り役だった元宮城県サッカー協会理事長の伊藤孝夫さん(88)は「民意の後押しが心強かった」と述懐する。
 チーム創設を求めた署名は30万を超えた。「ゼネコン汚職の出直し知事選で当選した浅野史郎さんの得票が約29万。知事を支持する声を超えたとき、いけるかなと思えた」と伊藤さん。94年秋にブランメル仙台として設立。99年に現在の名前になった。25年たった今も市民クラブとして歩む。
 サッカーとは対照的に、プロ野球球団の誕生は落下傘的だったとも言える。

<球界再編契機に>
 2004年、近鉄とオリックスの球団合併構想に端を発した球界再編問題は、ライブドアと楽天のIT企業2社の競合を経て、東北楽天ゴールデンイーグルスの誕生で決着した。
 11月に大阪・藤井寺球場であった秋季キャンプ。まだユニホームが決まっておらず、真っ白な練習着で始まった。同時に宮城球場の改修工事も急ピッチで進む。球団副社長を務めた池田敦司仙台大教授は「4月の本拠地開幕に向けて死んでも間に合わせるぞ、とみんな必死だった。熱意だけの営業だった」と振り返る。
 参入1年目の05年は38勝97敗1分けの最下位。以後、12年まで8季でAクラス入りは1度きり。田中将大(現ヤンキース)ら生え抜きが主力に成長した13年は球団創設9年目で初の日本一に輝いた。観客動員も増え、昨年は初年度の2倍近い172万人が球場に足を運んだ。
 サッカー、野球に続くプロチームが男子バスケットボールの仙台89ERSだ。bjリーグ時代に発生した東日本大震災による活動休止を乗り越え、地道にファンを開拓している。


関連ページ: 宮城 社会

2019年04月24日水曜日


先頭に戻る