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<私の平成 聞き語り>(2)差別なき社会へ使命感/東北新生園入所者自治会会長・久保瑛二さん

久保瑛二さん

 平成は、どんな時代だったのか。平和運動、偏見・差別との闘い、漁業、農業、観光に携わった県内の5人に自身の活動を踏まえ、この30年を振り返ってもらった。(5回続き)

◎東北新生園入所者自治会会長・久保瑛二さん(86)=登米市

 1996(平成8)年のらい予防法廃止、2001(平成13)年の熊本地裁による国の隔離政策の違憲性認定など、平成の間に、ハンセン病患者を取り巻く環境は激しく変わった。

<14歳で隔離生活>
 私は北海道函館市で生まれ、14歳で東北新生園に入った。縁もゆかりもない土地に来て「ここに入ったらもう一歩も外に出られない。出られるのは火葬場で煙になる時だ」と言われ、過酷な人生を送ってきた。
 予防法の廃止により、私たちハンセン病の患者はやっと、人間性を認められた。国に対する恨みつらみを挙げればきりがないが、今では「何もかも国のお世話で生かされている」と思えるようになった。
 1907年に法律「らい予防に関する件」(当時)が公布され、多くの先輩たちが苦しみ、世の中を恨みながら死んでいった。予防法廃止が決まった後、園内にある霊安堂に足を運び「皆さん、喜んでください」と入所者の御霊(みたま)に語り掛けたのを思い出す。
 これまでに鬼籍に入った入所者は約850人。平成の30年余で、うち約280人が亡くなった。入所者自治会の会長として、差別や偏見にさらされ故郷に帰れなかった先輩や仲間たちを野辺送りしてきた。

<鎮魂の桜を植樹>
 故人の鎮魂の意味を込め、10(平成22)年から毎年、桜を植樹している。1000本を目標に、これまでに860本を植えた。東北新生園が将来、桜の名所となり、多くの人が集う場になるのを夢見ている。
 多い時で約660人いた入所者は今、58人(20日現在)に減った。平均年齢は88歳。平成は、入所者がいなくなる時を見据え、園の新しい在り方を考えた時代でもあった。
 園と自治会は02(平成14)年、園の将来構想をまとめた。入所者の生活環境の充実と併せ、地域との連携や共生を目指している。
 構想に基づき、パークゴルフ場ができ、グラウンドをリニューアルした。各種大会を開催し、県内外から愛好家や子どもたちが集うようになった。「お世話になった地域の人たちに恩返しをしたい」との思いは年々、強くなっている。
 らい予防法が廃止された23年前から、全国で講演をするようになった。ハンセン病を正しく理解してもらうとともに「同じ過ちを繰り返してはならない」と訴えている。偏見や差別の時代があったことを伝えなければならない。平成になって新たな使命感が芽生えた。(聞き手は報道部・肘井大祐)


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2019年04月26日金曜日


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