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<平成の東北スポーツ>プロチーム誕生/観戦の喜び身近に 勝利、被災地の希望と光

新規参入した初年の開幕戦(対ロッテ)を白星で飾り、笑顔で握手をする東北楽天・岩隈投手(中央)らナイン=2005年3月
川崎戦の後半、同点ゴールを決めてガッツポーズする仙台・太田(中央下)と喜び合う仙台イレブン=2011年4月

 平成の時代、東北のアスリートたちは全国で、世界で活躍した。五輪での金メダル獲得、プロ野球東北楽天の誕生と日本一、仙台や山形などJリーグチームの躍進、高校のバスケットボールやサッカー、駅伝などでの全国制覇…。私たちの胸を熱くしてくれた、選手たちの奮闘をたどった。

 突然、降って湧いたような話が東北に舞い込んだ。2004年秋、プロ野球再編問題に端を発し、ライブドアが仙台を本拠地に新球団を設立する意向を表明。楽天も続いて手を挙げた。期待と「東北に本当にプロ野球チームが来るのか」と半信半疑の声が上がった。
 翌05年、東北楽天がパ・リーグに参戦する。田尾安志監督が率いた最初のシーズンは38勝97敗1分けで、最下位。田尾監督は解任された。続く野村克也監督が指揮して4年目の09年。リーグ2位となり、初のクライマックスシリーズ進出を果たした。
 「東北を熱くする」。星野仙一監督(故人)が率いて3季目の13年。その時が来た。24連勝を成し遂げた田中将大投手を擁し、日本一に輝く。東日本大震災から立ち直ろうとする東北が歓喜に沸き、被災地に希望と勇気を与えた。
 日本シリーズ第7戦、ホームで巨人を破った。最後の打者を三振に切って取った田中の元に選手が駆け寄り、星野監督が9度、宙に舞った。その光景は多くの人の脳裏に焼き付いた。

 サッカーJ1仙台は、1994年10月、東北電力サッカー部を継承した「ブランメル仙台」として発足した。99年に「ベガルタ仙台」に改称。Jリーグ2部(J2)に参戦した。
 初めて1部昇格を決めたのは2001年11月18日、最終節の京都戦だった。試合終了間際、岩本輝雄が左サイドから中央にボールを入れ、山田隆裕の頭を経由。最後は財前宣之が劇的な右足ボレーでゴールネットを揺らした。
 04〜09年はJ2で過ごしたが、10年に再びJ1に昇格。東日本大震災があった11年は4位、12年は最後まで優勝を争い2位と躍進した。特に、多くの人の記憶に残るのは、震災後初の試合となった11年4月23日、雨中の川崎戦(等々力陸上競技場)だ。
 前半に先制されたが、後半に太田吉彰が脚をつりながら執念で同点ゴールを奪う。終了間際、鎌田次郎がヘディングシュートを決め、2−1で川崎を下した。仙台が被災地の「希望の光」となった瞬間だった。手倉森誠監督は試合後にむせび泣き、震災で深く傷ついた被災地の人たちも涙を流した。

 J2山形も奮闘する。前身のNEC山形から、96年にチーム名をモンテディオ山形に変更。99年にJ2に参戦し、09〜11年、15年のシーズンをJ1で戦った。現在、八戸と秋田、盛岡、福島がJ3で戦い、東北各県にJクラブがそろう。

 男子バスケットボールリーグ、bjリーグは05年に始まった。6チームでスタートし、東北からは仙台89ERSが参戦。プロ野球、Jリーグに続く新たなプロスポーツの魅力を地域にもたらした。
 16年にはBリーグが開幕。現在は東北各県にチームがある。Jリーグとともに、東北のチーム同士がしのぎを削る戦いは、各地域を熱く盛り上げている。


2019年04月26日金曜日


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