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<仙台・蒲生>暮らしの記憶 堤防に刻む 元住民ら銘板設置、変わる街並みに危機感抱く

蒲生干潟の銘板を防潮堤に取り付ける笹谷さん(右)と若生さん

 東日本大震災の津波で被災した仙台市宮城野区蒲生地区で、津波を防ぐ河川堤防に震災前にあった施設などの名称を刻んだ銘板を付ける取り組みが始まった。震災後の区画整理事業で移転した元住民のグループが、暮らしの記憶を残そうと計画。震災のあった日付と同じ11の箇所(地図)への設置を目指す。
 蒲生干潟に面した堤防の2カ所には25日、横60センチ、縦40センチのステンレス製銘板が設置された。1枚には国指定の鳥獣保護区特別保護地区になっている干潟、別の1枚には震災前に3軒のウナギやコイの養殖業が営まれていたことを記す「養魚場」の文字が刻まれた。
 2枚は堤防の工事を担ったファインテック(仙台市)が製作し、元住民らでつくる「蒲生の河川堤防に銘板をつける会」に贈った。約20人が見守る中、会代表笹谷由夫さん(72)と同社統括部長若生不二夫さん(61)らが堤防に固定。笹谷さんは「立派な銘板を作ってもらった。一歩踏み出せた」と顔をほころばせた。
 震災後、蒲生地区は大部分が住宅の新築などができない災害危険区域になった。このうち七北田川北側の北部地区約92ヘクタールは倉庫などの業務用地として大規模な土地区画整理事業が進む。
 川と干潟の内側には2.8キロにわたり高さ7.2メートルの堤防ができ、地区の2方を囲む。道路や町割りは変わり、震災前に3000人以上が暮らしていた街の面影は消えつつある。
 「どこに何があったか分からなくなる」。この地で生まれ育ち、津波で息子2人やきょうだいを亡くした笹谷さんは危機感を持った。昨年末に仲間約20人と団体をつくり、堤防を管理する宮城県や市と交渉を重ねてきた。
 堤防が完成したら地区のコミュニティーセンター、小学校、バス停跡など残る9カ所にも設置したいと願う。笹谷さんは「高い堤防の上から眺め、この場所にあった施設や地名を知ってもらえたらいい」と話す。


2019年04月29日月曜日


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