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<私の平成 聞き語り>(5完)観光業復興へ 力を結集/ホテル大観荘副社長・磯田悠子さん

 平成は、どんな時代だったのか。平和運動、偏見・差別との闘い、漁業、農業、観光に携わった県内の5人に自身の活動を踏まえ、この30年を振り返ってもらった。(5回続き)

◎ホテル大観荘 副社長 磯田悠子さん(71)=松島町

 振り返れば天皇、皇后両陛下の宿泊が光栄で思い出深い。1992(平成4)年10月、山形県で開かれた「べにばな国体」に出席後、隣県訪問で泊まられた。開会式で男が両陛下に発炎筒を投げる事件があった直後だけに、何かあってはいけないと全館休業を決め、準備した。

<皇后さまの笑顔>
 72(昭和47)年に県制100周年で皇太子ご夫妻として来館した時と比べ、とても厳重な警備だった。
 従業員総出で玄関前で出迎え、皇后さまを見たみんなの第一声が「うわー、きれいだごだぁ」。大声で恥ずかしいほど。皇后さまの笑顔が自分に向けられた気がして、うれしくて元気が出た。
 私がそうだから被災した方々はなおさらでしょう。被災地をまめに見舞う両陛下は大変なご苦労と思う。平成には秋篠宮ご夫妻、常陸宮ご夫妻も来館した。
 私は創業者の娘で夫が社長。母もいたが、私が95(平成7)年ごろ「みやぎおかみ会」の会長に就任した。ぜいたく税とされ、一定額を超える旅館の宿泊費などに課税される特別地方消費税の撤廃を目指す運動に参加した。
 47都道府県のおかみの代表が着物に法被、鉢巻き姿で「旅館への二重課税だ」と訴えて東京でデモ行進。
 よく分からずに行き、「大変なことになったなあ」と思ったが、その成果か同税は廃止された。「国民の声を知らせることは大事。政治の力も借りて」と、初めて知った。

<避難者受け入れ>
 そしてやはり、2011(平成23)年の東日本大震災。沿岸部では被害の少ない松島町でも宿泊施設や店が被災した。当館は高台にあり、被害が軽かったが、悲しいやら不安やらで。停電と断水の中、観光客の避難者を受け入れ、婚礼用キャンドルで通路を照らすなど懸命だった。
 直後の4月末、東北6県のおかみが東京に集まり、元気だとアピールする場を設けてもらった。自粛ムードが広がり、銀座の店までつぶれていた頃。「(被災地に)遊びに来て」と言うのは恐縮だと思った。
 おかみたちは発言を嫌がり、宮城代表の私にお鉢が回ってきた。うんと悩み「皆さんの笑顔で励ましに来てほしい」と呼び掛けた。
 松島に戻り、できる限りの準備をしてお客さまを歓迎するよう同業者らに頼んだ。当館は翌春まで各県警や医療の応援部隊を受け入れた。
 私にとって平成は、子育てと仕事で忙しかった。だが、多くの方々と出会えて最高の時代だったと思う。
(聞き手は塩釜支局・松田佐世子)


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2019年04月29日月曜日


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