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<平成−令和・次代へつなぐ>300年の重み 兄弟で

父の故・四代目乾馬さんの写真を前に語り合う乾馬さん(右)と和馬さん=仙台市泉区上谷刈の堤焼乾馬窯

◎(1)堤焼乾馬窯(仙台)/針生乾馬さん(51)、和馬さん(48)

 間もなく平成から令和に元号が切り替わる。移ろいゆく時の中で、東北に受け継がれた伝統や文化、技術を守り続ける人々がいる。時に大胆に、時に慎重に。地域の貴重な資産を次代へつなごうと歩みを進める。(6回続き)

 進取の気性に富んだ兄弟が、300年の歴史を刻む伝統工芸を守り抜く。

●仙台藩ゆかり
  仙台市泉区上谷刈の「堤焼乾馬窯(けんばがま)」。仙台藩ゆかりの堤焼を唯一受け継ぐ窯元は、五代目の針生乾馬(本名嘉久)さん(51)と弟の和馬(本名嘉和)さん(48)が仕切る。
 古民家を移築したギャラリーには、堤焼を象徴する黒と白の釉薬(ゆうやく)を豪快に掛け流した「海鼠〓(なまこゆう)」、白くざらざらとした質感の「粉引(こびき)」などの茶器、酒器、皿、花入れが並ぶ。記念品として100個、1000個単位での注文が舞い込む。
 乾馬さんが釉薬の調合など主に作陶を担当し、和馬さんは営業や販売にも携わる。乾馬さんは「堤焼の良さを残しつつ、自分の個性が光る作品を一つでも多く残せればいい」と語る。

●父の背中追う
  父の四代目乾馬さんは日用雑器だった堤焼を芸術の域に高めた陶芸家だった。2010年度に第60回河北文化賞を受賞。16年に88歳の生涯を閉じたが、視力を失った晩年も創作意欲が衰えることはなかった。
 作陶に明け暮れる父や職人を見て育ち、2人もおのずと同じ道に進んだ。五代目乾馬さんは1987年、和馬さんは93年に家業に加わり、父の背中を追った。
 兄弟にとって、平成は父と駆け抜けた激動の30年だった。
 忘れられないのは2002年、青葉区のせんだいメディアテークであった父の個展。高さ1メートル超の大つぼを制作し、昭和初期に下火になった技術に取り組んだ。伝統の重みを肌で感じ、陶芸への姿勢を見詰め直す機会になった。
 11年3月の東日本大震災では強い揺れで工房が大きく被災した。登り窯とガス窯3基が損壊し、作品の9割が割れた。「形あるものはいつか壊れる」。気落ちする兄弟を奮い立たせたのは父の言葉だった。5月に制作を再開し、6月には親子3人で復興展を開いた。

●おいも加わる
 13年には四代目の孫で兄弟のおいに当たる峻さん(33)がシステムエンジニアの仕事を辞め、作陶の世界に飛び込んだ。堤焼の後継者として、乾馬窯に新風を吹き込んでいる。
 「先代(四代目)が築いた人脈、磨いた技術、貫いたものづくりの姿勢を受け継ぎ、次の世代にいい形で渡すことが自分の役目だと思う」。平成から令和という時代の節目を迎え、和馬さんが気を引き締める。
 五代目乾馬さんも「堤焼の担い手は僕たち兄弟と峻の3人の時代になる。伝統工芸が後世に存在し続けられるように努力を重ねたい」と力を込める。
(報道部・上村千春)

〓は「禾(のぎへん)」の右に「由」


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2019年04月29日月曜日


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