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<あの時 平成・永田町と東北>加藤の乱/森内閣との対峙は腰砕け

「加藤の乱」が失敗に終わり、同僚議員に囲まれ涙ぐむ加藤氏=2000年11月20日、東京都内
山崎拓氏
遠藤利明氏

 自民党の加藤紘一氏は1991年、衆院初当選同期の山崎拓、小泉純一郎両氏と「YKK」を結成する。目指すは経世会(旧竹下派)支配の打破。3人は閣僚や党要職を経験し、次世代のリーダーとして存在感を高めていく。
 「国民を入れた長いドラマの始まりです」。2000年11月、党内非主流派の加藤氏は山崎氏と共に、森内閣の不信任決議案に賛成する構えを見せ「加藤の乱」を起こした。野党に加え加藤、山崎両派全員が賛成すれば可決される計算だったが、党執行部に切り崩され、加藤氏は採決を欠席。腰砕けに終わった。
 森派会長として加藤の乱に対峙(たいじ)した小泉氏は01年の党総裁選に立候補。「自民党をぶっ壊す」と叫び、旋風を巻き起こして大勝。YKKで首相の座に就いたのは三男格の小泉氏だった。
 加藤氏は13年に政界を引退、16年に死去した。

◎足りなかったのは運/元自民党副総裁 山崎拓氏(82)

 小渕恵三首相が2000年4月に病で倒れ、次の首相を誰にするか決める密室謀議に派閥領袖(りょうしゅう)だった加藤紘一さんも私も呼ばれず森喜朗さんが選ばれた。その時以来、われわれ2人は問題視し一貫して反対した。
 要するに加藤の乱は、加藤派と山崎派が自民党を割って野党に合流する話。森内閣不信任決議案が可決されれば、首相指名選挙で加藤さんに投票する。野党になることを覚悟したが、目算通りなら政権を取れる。
 加藤さんが00年11月上旬、渡辺恒雄さん(現読売新聞グループ本社代表取締役主筆)主宰の政治評論家の会合で、森政権を倒すと漏らした。瞬く間に政界に広がり、先手を打たれつぶされた。十分話し合い、擦り合わせた上で動いたつもりだが、ちょっと先を急ぎすぎたし脇が甘かった。加藤さんは正直な人。権謀術数の経験不足が敗因。私も同罪だ。
 超極秘にやらないと。ふたを開けたら景色が変わったぐらいにね。成功後の絵も失敗後の絵も描ききれなかった。乱を起こさなければ加藤さんはいずれ首相になったと思う。足りなかったのは運ですね。自民党総裁選に出たのは加藤さんも私も1回だけ。小泉純一郎さんは3回も挑み最後に首相になった。決断力は小泉さんが上。加藤さんは慎重だった。
 平成政治史で加藤さんは政界のプリンス的存在だった。今の自民党は人材が払底している意味で、常に希望の星であった点が評価できる。もう一つはリベラルの代表として党を常に支えたこと。大平正芳元首相が言った「楕円(だえん)の哲学」の当事者としてレガシー(遺産)を残した。
 YKKは戦後政治で「三角大福中」に次ぐマグマだったと思う。かなり激しく行動した結果、加藤さんはやけどをし、小泉さんは爆発力に変えた。私は中途半端に終わったが(笑)。まあ楽しかった。2人のおかげで充実した政治生活を送れた。

◎虚脱感で街止まった/元五輪相 遠藤利明氏(69)

 加藤紘一さんとの付き合いは官房長官時代(1991〜92年)、国政を目指す私にいろいろ教えていただいたのが始まり。博識で行動力があり、政治家としての広がりが魅力。「加藤の時代」を誰もが予感した。
 YKKは加藤さんが中心で山崎拓さんが支え、小泉純一郎さんは若い友人という位置付け。政治とカネを含めたガチガチの派閥政治を変えようと、目立つ存在だった。
 99年の自民党総裁選が分かれ目だったと思う。古賀誠さんや野中広務さんから「小渕恵三首相は次は加藤と言っているんだから、若い連中で何とか抑えろ」と命じられ、私も「今回は無理しない方がいい」と何度も説得した。だが、小渕さんと争い対立を生み、流れからそれた。加藤さんが我慢していれば、小渕さんの後に首相になれた気がする。
 加藤の乱も止まらなかった。加藤さんは大勢順応型ではなく、何かに挑戦していくタイプだから勝負に出た。野党が出す森内閣不信任決議案に賛成するのはさすがにきついが、逆に最後まで貫いてほしかった。「乱」で終わったのは本当に残念だ。
 率いた宏池会の内部では、加藤さんが継ぐ大平正芳元首相の系統、宮沢喜一元首相が近い前尾繁三郎さんの系統があり意思疎通が若干悪かった。宏池会はリベラルで政策通、おとなしいイメージ。加藤さんの首相への思いが強すぎたのかもしれない。なかなか一本化できなかった。
 あの時、山形の夜は人通りが少なかった。「加藤さんが首相になる」と皆テレビを見ていた。翌日は虚脱感で街が止まっていると感じた。私は浪人中だった。現職ならいろんな意味で動けた。東京にいたかったね。
 加藤さんが今も元気だったら、安倍晋三首相のアンチテーゼとして活躍したのでは。われわれの責任もあるが、少なくとも「安倍1強」の状況にはならなかっただろう。
(聞き手はいずれも東京支社・瀬川元章)


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2019年04月29日月曜日


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