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<奥羽の義>番外編・列藩同盟群像(4)戦後処理で分かれる評価

遠藤文七郎が宮司を務めた塩釜神社の境内。新政府の役職を退いた遠藤は後半生を神職として過ごした
塩釜神社が所蔵する遠藤文七郎の肖像画(非公開)

◎仙台藩執政 遠藤文七郎

 仙台藩降伏後の執政を担った勤皇派奉行遠藤文七郎(本名允信(さねのぶ))は毀誉褒貶(きよほうへん)が相半ばし、時に悪役に描かれる。戦後処理で藩内の旧主戦派を一掃し多数の処刑者を出した「仙台騒擾(そうじょう)」の中心人物とされるためだ。弾圧的とも言える厳罰を断行して批判された一方、なりふり構わない姿勢は「何としても藩を守る」との決意の表れだったとも言われる。

 一貫して勤皇派だった遠藤は伊達家重臣の家に生まれた。領地は川口(現在の栗原市)。先祖は修験者という。出羽出身の尊皇の志士清河八郎とも交流があった。
 幕末に開国主義の筆頭奉行だった但木土佐と対立した遠藤は政争に敗れ、要職を解かれ、閉門処分となった。戊辰戦争中も「勅命に従い会津藩を討つべきだ」と主張し、再び閉門となる不遇をかこった。
 降伏後、藩が体制を一新したことで執政として表舞台に返り咲くと、すぐに但木や坂英力ら旧主戦派幹部を次々と投獄、処刑。復権した勤皇派勢力は、玉虫左太夫ら他藩では罪の軽い中級藩士まで死罪にした。勤皇派と距離を置いた奉行和田織部も切腹に追い込まれた。仙台藩の戦後処理の厳しさは突出している。
 これが「政争で敗れた意趣返し」「新政府に尾を振った」と反感を買った。大なたを振るい過ぎたのだ。降伏に反対する「額兵隊」隊長星恂太郎や幕臣榎本武揚らの暗殺を試みて失敗したことも「策を弄(ろう)する人物」との評価につながった。

 一方で、仙台藩に対する新政府の減封処分に激しく抵抗した。「遠藤允信翁勤王事跡」(栗原郡教育会編)によると、新政府が「大藩仙台は従犯と言えず責任重大。62万石から10万石に削り会津か白河に移す」と計画するのを聞き付けた遠藤は、東京で木戸孝允(長州藩出身)に面会。「多くの家来と家族が路頭に迷えば暴発しかねない」と説き、移封を阻止しようと交渉した。
 「20万石はどうか」との譲歩を「少な過ぎる」と拒否。「5万石加える」との説明にも首を縦に振らず、「30万石なら朝廷に貢献できる」と詰め寄り、最終的に28万石に落ち着いた。会津藩が3万石の斗南藩に移封されたような瀬戸際に、仙台藩も置かれていたのだ。同事跡は「遠藤が後世に誤解され、藩を守った功績が伝わっていない」と訴える。
 その後、神祇官や大掌典など中央官庁に出仕したがわずか3年で辞職した。薩長政府が尊皇と言いながら権力争いに明け暮れる実態を見て、生粋の勤皇派の遠藤は失望したらしい。政府からも「融通の利かない男」と遠ざけられたようだ。

 以後は神職に転じ、当時の宮城県知事の推薦で塩釜神社の第4代、第6代宮司に就いた。第14代宮司の故押木耿介氏が書いた「歴代宮司列伝」によると、遠藤は神社の古文書を整理して略史を作り、廃れた式典を復活させるなど精力的に活動した。
 年始の鏡開きで出入り業者らをもてなす習慣は武家出身の遠藤の代から始まったとされ、現在も続く。権禰宜(ねぎ)の栗生貴史さん(36)は「部下を大切にして酒席を楽しみ、職員から愛されたようだ。不正には厳しく対処した記録もある」と話す。
 国事に奔走した結果、家産はほとんど失ったという。死去の直前、遺言を問われると「ない。強いて言えば生前の言行が遺言だ」と答えた。評価の分かれる遠藤だが、藩を憂い、体を張った硬骨漢だったことは確かではないだろうか。
(文と写真・酒井原雄平)

1836年 仙台藩重臣の家に生まれる
  42年 藩校養賢堂で学ぶ
  55年 家督を継ぐ
  58年 尊皇攘夷の意見を藩主に建白
  63年 開国主義の但木土佐と対立。政争に敗れ、閉門処分となる
  64年 閉門を解かれ復職
  65年 領地の川口に退居
  68年 戊辰戦争始まる。会津藩追討を主張して再び閉門に。仙台藩の降伏直前に執政として要職に返り咲き、新政府との窓口役になる。翌年にかけて仙台騒擾が勃発
  70年 神祇官に出仕
  72年 大掌典に就く
  73年 辞職して官位返上。以後神職になり各地で宮司を務める
  91年 塩釜神社宮司
  99年 死去
1908年 従四位を贈られる

<メモ>「遠藤允信翁勤王事跡」は、うそかまことか、処刑前に但木土佐が遠藤文七郎の屋敷を訪れたとの古老の話を紹介している。深夜、遠藤邸の門番に一通の書状を手渡した紳士がいた。書状を見た遠藤は急いで紳士を出迎え、酒席を催した。
 紳士は帰る直前「もし私の主張が通ったら、あなたの首をもらう」と杯を渡した。遠藤は酒を満たして返杯し「ご遠慮なく。こちらの主張が通ったら、あなたのはげ頭をもらおう」と大いに笑い合って別れた。
 実はこの紳士は但木で、遠藤は家中に「今夜のことは口外するな」と言ったされるのだが−。真実はいかに。


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2019年05月05日日曜日


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