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<あなたに伝えたい>二人三脚の日々 支え

写真を手に健さんとの思い出を振り返る雅子さん

◎佐々木雅子さん(宮古市)から健さんへ

 「腹減ったなあ」。笑いながら健さんが帰ってくるのではないか。今でも、そんな気がしてならない。
 健さんは地元紙・岩手東海新聞社の宮古支局長だった。記者職は雅子さんと2人。地域をくまなく歩いて日々、新鮮な情報を発掘していた。
 「お年寄りや子供が読んですぐ分かるよう、短く簡潔に」「一本のペンが人の人生を変えることもある」。健さんの口癖だった。
 責任感が強く、仕事に厳しい。それでいて笑顔を絶やさない。2007年に心臓の手術をしてからは、文字通り二人三脚で記者業務をこなした。
 あの日から8年2カ月がたつ。建物の1階を間借りしていた事務所付近に、雅子さんはまだ1人で行くことができずにいる。
 地震発生後、健さんは従業員4人に避難を指示した。「新聞を配達してから」と口ごもる男性従業員を「命の方が大事だ!」と怒鳴りつけた。初めて見るけんまくだった。
 従業員が事務所を去って間もなく、津波が到達した。「2階へ上がれ」。健さんが叫ぶ。雅子さんは必死で階段を駆け上がった。窓から見えたのは一面の黒い海。そこに健さんがいた。
 「すぐ助けるから」。雅子さんは物干しざおを差し出そうとしたが遅かった。2人の目が合い、それが最後になった。
 「夢にでもいいから…」。予期せぬ別れだけに喪失感は大きかった。「私が死んだ方がよかった」。自分を責め続けた。
 くじけそうになる日々で、心の支えは一緒に過ごした幸せな時間だった。記者として築いた地域の人々とのつながりも力になっている。
 時が過ぎても、健さんを慕う仲間たちが全国から焼香に訪れる。「お金では買えない、かけがえのないものを残してくれた」
 「俺は笑っている雅子が一番好きだよ」。そう語った優しかった健さんに聞いてほしい。
 「つらい時を乗り越えれば小さな針穴から光が差し込むかもしれない。そんな気持ちで暮らしているよ。あなたの分まで生きていくよ。だからずっと見守っていて」

◎あのとき何が

 宮古市の佐々木雅子さん(68)は、東日本大震災で夫健さん=当時(64)=を亡くした。仕事場にしていた市内の事務所で津波に巻き込まれた。


2019年05月11日土曜日


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