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<下北イチゴ>先駆けて生産の村田さん 異端の挑戦、実を結ぶ

ハウスでイチゴの苗を手入れする村田さん=青森県東通村

 東北に吹く季節風「やませ」の下、逆転の発想で臨んだたった独りの挑戦が実を結んだ。青森県東通村の農業村田睦夫さん(58)は17年前、周囲の反対を押し切ってイチゴ生産を始め、下北地方の出荷額が1億円になる産業に育て上げた立役者だ。
 「最初は周りのみんなが『ばかなまねするな』と反対したり、さげすんだりした。村八分みたいだった」
 村田さんが勤め先を辞めてイチゴ作りを始めた2002年ごろ、下北の農業はコメや白菜、キャベツなどが主流だった。そのコメですら夏に冷たい風が吹く影響で全国平均の6〜8割しか収量が上がらなかった。
 農家からはそれまで、やませを恨む声は上がれども、利用しようという声は上がらず、村田さんの存在は異端だった。
 「全国的に暑くなる夏は国産のイチゴが市場に出回らなくなり、米国産が高値で取引される。涼しい下北でイチゴを作ったら面白いと思った」
 就農前、むつ市の市場で競り人を務めていた時の知識と、やませを天然のクーラーのように使う発想で勝負に出た。
 最初は、九州で冬に栽培されるイチゴを育てた。わずかしか収穫できずに失敗。下北の夏でも九州の冬よりは暖かかった。2年目を終えると、赤字は2000万円を超えた。
 助けを求めて行政や農協に補助金や融資の相談に行っても「一銭も出せない」と断られた。おととしに亡くなった父親だけが「家を売って返せる借金なら気にするな」と背中を押してくれた。
 転機は3年目に訪れた。北海道に夏や秋に収穫するイチゴがあることを知り、飛び付いた。収量は一気に20倍になった。以降出荷を続けたことで3年前に大手スーパーの目に留まり、出荷額、量ともに跳ね上がった。
 ハウス3棟で始めた村田さんのイチゴ畑は、今では27棟(計約9000平方メートル)に広がり、従業員16人を雇うようになった。村田さんに倣って下北の生産者は年々増え続け18年に20人、合計生産額9600万円に上った。
 村田さんは「挑戦する前に結果を想像して、文句を言っても意味はない。やってみる価値があるなら、まずは実行することが大事だ」と話した。


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2019年05月14日火曜日


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