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<東京検分録>「YKK」追憶 加藤氏の首相評色あせず

 小泉純一郎元首相、山崎拓元自民党副総裁に取材する機会があり、2016年に死去した加藤紘一氏(鶴岡市出身)が結成を呼び掛け、一時代を築いた「YKK」の思い出話が弾んだ。
 「加藤さんがYKKの中で最初に総理になるとみんな思っていた。私もそう」(小泉氏)
 「『加藤の乱』を起こさなければ、いずれ総理になったと思う」(山崎氏)
 盟友2人から夢破れた加藤氏を惜しむ声を聞きながら、「友情と打算の二重構造」と小泉氏が告白したYKKの機微にも触れることができた。
 「政界のプリンス」は1995年に党幹事長、98年には宏池会会長に駆け上がる。鈴木善幸氏以来となる東北出身の首相誕生が現実味を帯びる中、森喜朗首相に公然と退陣を迫った00年の加藤の乱で失脚した。
 森派の会長として鎮圧側に回り、01年に首相の座をつかんだ小泉氏。「政界の一寸先は闇。運もあるなあ」と、天下取りの難しさをしみじみ振り返った。
 乱に同調した山崎氏は、小泉氏が党幹事長に起用して復権。一世一代の大勝負に敗れた加藤氏は元秘書の脱税事件で02年、議員辞職に追い込まれ、明暗が分かれた。
 「僕と小泉さんは密接不可分だったが、加藤さんと小泉さんは疎遠になった」と山崎氏。自らが接着剤の役目を果たしたという。
 加藤氏は03年、国政に復帰した。小泉政権を評価してもらおうと翌年、衆院議員会館で取材の機会を得た。
 「約2年留守にして帰ってきたら、自民党の元気のなさと、国会のレベルが落ちたことに驚いた。印象で、表層で政治をしている」
 「党内は小泉さんへの一点集中主義になり、首相官邸ばかり見ている」
 「小泉さんが唯一崩れる部分があるとすると答弁。相手と本気で取っ組み合いの議論はしない。政策の内容に立ち入って真面目に取り組まないと危ない」
 評論家然としていたが、よどみない辛口の分析は15年たっても色あせない。それどころか、小泉氏が後継として目をかけた安倍晋三首相の1強状態にぴたり重なる。
 取材ノートを読み返し、国政の停滞、いや劣化を思わずにいられなかった。
(東京支社・瀬川元章)


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2019年05月26日日曜日


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