宮城のニュース

<旧優生保護法国賠訴訟>「生きる気力失った」原告飯塚さん無念 積年の願い砕かれる

判決後、支援者らとそろいのピンクの飾りを身に着けて記者会見に臨む飯塚さん(左から2人目)=28日午後4時20分ごろ、仙台市青葉区の仙台弁護士会館

 うつろな目で天井を見上げる。じっと下を向く。ボールペンを握った手はほとんど動かない。本当なら判決の内容をメモするはずだった。
 仙台地裁で28日にあった旧優生保護法を巡る国家賠償請求訴訟の判決。裁判長が主文を言い渡すと、原告の飯塚淳子さん(70代、活動名)=宮城県在住=は息をのんだ。
 強制不妊手術を強いられたのは約60年前。16歳の時だった。旧法の違憲性を認めながらも飯塚さんらの請求を棄却した判決は、積年の願いを打ち砕いた。
 「人の人生を無理やり奪った責任が問われないなんて…。生きる気力がなくなった。もう疲れた」。閉廷後、声を絞り出した。
 午前11時半。判決を3時間半後に控え、飯塚さんは裁判所の中を落ち着かない様子で歩いていた。
 「(訴訟を経て救済の道が開けた)ハンセン病問題の経過も見てきた。ずっと『次は私たちの番なんだ』と信じてきた」。新たな気持ちで臨もうと、髪も切った。
 午後2時半。弁護団や支援者らの列に加わり、法廷に向かった。隣の女性弁護士と談笑する表情に、勝訴への期待感がにじんでいた。
 午後3時。「原告らの請求をいずれも棄却する」。裁判長が間を置くと、傍聴席は静まり返った。法廷を飛び出した原告側代理人が扉を閉める音が響く。
 傍聴席で多くの支援者がうつむいた。飯塚さんが座ったのは裁判長の正面、最前列の中央だった。眼鏡を外し、汗を拭く。自分の腕をつかみ、首を振った。
 これまで周りで仲むつまじい親子を見ると、うらやましかった。被害を訴え出て約20年。仲間はなかなか名乗り出なかった。昨年1月、60代女性が地裁に提訴したことで潮目が変わった。旧法に関する議論は広がり、国会で救済法も成立した。
 「1人だったら諦めていた」。感謝は尽きない。だからこそ、国に賠償と謝罪を命じる判決に期待していた。
 午後4時すぎ。判決後の記者会見。「国の責任が認められず、納得できない。国には高齢化する被害者に誠意ある対応を求めたい」。途切れ途切れに、言葉を紡いだ。
 同席した弁護士や60代原告女性の義姉が控訴に向けた決意を語る中、飯塚さんは今後について言葉を濁した。「諦めたくはない。でも今までの闘いは長過ぎた」。会見後、静かにつぶやいた。


関連ページ: 宮城 社会

2019年05月29日水曜日


先頭に戻る