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消滅集落に暮らしの証し 鹿の子の元住民が記念碑建立 両親、きょうだいの名刻む 宮城・栗原

記念碑を囲み、思い出を語る勝吉さん(左端)、ゆう子さん(左から3人目)、甲七さん(左から4人目)

 宮城県栗原市花山の山間部の鹿(か)の子集落で幼少期を過ごしたきょうだい3人が、生家跡に記念碑を建立した。車での移動もままならない山奥にあった集落は、15年ほど前に最後の住人が離れて消滅した。現地で2日、完成披露のお祝いがあり、親類25人が半世紀以上前の思い出話に花を咲かせた。
 記念碑を建てたのは、茨城県守谷市の狩野勝吉さん(81)、仙台市泉区の狩野甲七さん(79)、栗原市鶯沢の千葉ゆう子さん(89)のきょうだい。
 鹿の子集落は、鶯沢地区の旧細倉鉱山から約5キロ離れた山奥にあった。1960年ごろは、炭鉱作業員や炭焼き、馬の飼育などで生計を立てる6世帯42人が暮らしていた。
 勝吉さんきょうだいは、麓の花山小まで2時間をかけて徒歩で通学。甲七さんは「大雪の日は通学できないので休校になった」と懐かしそうに語る。
 細倉鉱山の閉山や通学・通勤が不便なため、集落を離れる住民は次第に増加した。狩野さんのきょうだいの中で最後まで残っていた長男の政雄さん(故人)も通勤や子どもの通学を考え、70年ごろに集落を離れた。以後、家族が集落を訪ねる機会は減っていったという。
 記念碑の建立は1年ほど前に始めた。7人きょうだいのうち4人が他界。3人が元気なうちに、先祖、家族が暮らした足跡を残そうと地元の石材店などと準備を進めた。正面には、両親ときょうだい7人の名前を刻んだ。
 勝吉さんは「集落はなくなったけど、石碑があれば300年、500年後に遺跡として見つけてもらえるかもしれない」と話す。
 2日の完成披露には、きょうだいと親類がワゴン車に乗り、山間部の集落を訪問。子どもや孫たちは道中、「山奥にある家を探す番組に出てきそう」などと驚いていた。
 奇麗に整えられた生家跡に立ったゆう子さんは、「昔の家のことを思い出した。今日は家族の記念碑ができたスタートの日」とにっこり笑った。


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2019年06月03日月曜日


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