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<東京五輪 有望選手に迫る>小関也朱篤(競泳男子) 苦境乗り越えた強い心

競泳日本選手権の公式練習で調整する小関=4月、東京辰巳国際水泳場

 56年の時を経て、再び五輪が日本にやってくる。世界最大のスポーツイベントは社会を変える。開幕は2020年7月。出場を目指す選手は何を思い、周囲はどう支えるのか。東北出身の有望選手に迫った。
(2020年東京五輪取材班)

<土俵際踏ん張る>
 4月、競泳の日本選手権。2016年リオデジャネイロ五輪男子平泳ぎ代表の小関也朱篤(やすひろ)(27)=ミキハウス、山形・羽黒高−日体大出=がもがいていた。
 得意の200メートルはフォームが崩れて伸びを欠き、まさかの3位。7月の世界選手権代表を逃す。50メートル、100メートルは制したが、派遣標準記録に届かない。実績を踏まえれば惨敗と言えた。
 5月下旬のジャパン・オープンで、100メートルの追加選考に懸けた。大会前に次女が生まれ、ぶざまなレースはできない。「やばかった」と言うほどの重圧にさいなまれながら、派遣記録を切り優勝を飾る。
 土俵際で踏みとどまった。「本当にほっとした」。大会中は人を寄せ付けない雰囲気をまとうこともあるスイマーが、つき物が落ちたように笑った。
 天気晴朗なれど波高し。この2カ月は、決して順風満帆とは言えない競技人生の縮図のようだった。
 水泳を始めたのは4歳の時。地元鶴岡市のスイミングクラブでも目立つところはなく、中学1年でやっと上級クラスに進む。実力より、やる気を買われた。
 コーチの木村憲さん(54)は言う。「練習についていくのがやっと。東北で活躍できればいいというレベルだった」。全国的には全く無名の選手だった。
 高校2年でクラブを辞め、独立していた木村さんに指導を仰いだ。練習場所は公共のプール。一般客と共用で、飛び込み台もない。目の前を子どもが横切るたびに泳ぎを止めた。練習も時々サボっていた。
 「それでも今思えば、ここぞの集中力と、覚悟があった」。そう木村さんは回想する。才能が花開いたのは高3の全国高校総体。100メートルで3位に入る。日体大に進み、13年のジャパン・オープンで04年アテネ、08年北京五輪金メダリストの北島康介と激戦を繰り広げ注目を集めた。

<膝痛こらえ3冠>
 「北島2世」。日本のお家芸と言える平泳ぎで金看板を手にしたのもその頃だ。しかし、メダルを期待されたリオ五輪200メートルは5位に終わる。
 試練は続いた。17年夏に左膝半月板を損傷。冬には後輩選手に暴力を振るって対外試合を自粛する。その間も、手術を考えるほど痛みは増していた。
 復帰戦となった昨年4月の日本選手権。3冠を達成して復活をアピールしたが、大会前は母の琴さん(53)に本音を伝えている。「膝が痛い」。携帯に何度もメッセージが届いた。
 「他人の前では言い訳をしない子」と琴さん。多くを語らず、自分と向き合いながら苦境を乗り越えてきた。耐えた時期が長かったからこそ簡単には折れない。琴さんは「遅咲きでよかったのかも」とほほ笑む。
 本命の200メートルは渡辺一平(トヨタ自動車)らライバルがひしめく。東京五輪への道のりは険しさを増している。「一年一年が勝負。まず今年をしっかり戦う」。どんな壁が立ちはだかろうと、歩みは止めない。


2019年06月06日木曜日


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