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<仙台いやすこ歩き>(101)あんもち/巡り合えた懐かしの味

 巡り合いのいやすこ歩きだった。
 きっかけは単純だ。「おいしい大福があるのよ」と画伯。知り合いから頂いた大福がおいしくって、たまに買いに行くという。「それじゃ、連れてって」と、やって来たのが青葉区木町通にある「餅工房 おくやま」なのだ。
 マンションの1階にあるおくやまは、隣のお店より少し奥まっていて、見逃しかねないかわいらしい店構え。「奥ゆかしいんですよ」と笑って迎えてくれた店主の奥山栄一さん(71)に、まずは歴史から伺うことに。
 奥山さんがお店を始めたのは17年前。サラリーマンとして54歳まで勤めた会社を早期退職した後だったそう。「3月に退社し、何もすることがなかった中、思い浮かんだのが小学生の時から、伯父のところで手伝いをしていた餅づくりでした」。おじさんとは?と聞くと、「昔、大橋のたもとにあった大橋茶屋を営んでました」と奥山さん。
 その言葉に、2人はびっくりするやら感激するやら。というのも、つい最近のいやすこ会話で、「大橋茶屋の大福とがんづき、懐かしいな〜」という私に、画伯は「食べたことないけど、大橋茶屋の親戚の人が餅屋さんをやってるらしいよ。でもどこかはわからない…幻のお店だね」と話していたばかりなのだ。まさか、その幻のお店に巡り合えるとは! がぜん、いやすこ魂が燃えてくる。
 元々は、大正時代に奥山さんのおじいさんがお店を開き、大橋の川向こうにあった陸軍第二師団にうどん・そばを納めていたそう。それが、奥山さんが手伝っていた昭和30年代には甘味のお店になっていた。「私が小学校の頃は、くどにまきを燃やしてあんこを煮ていました。『ちゃんと見とけよ』って火の番から手伝ってましたね」
 その経験が、17年前、大橋茶屋の昔ながらの味復活につながったのだ。「この大福がおいしくって」と言うと、奥山さんはにっこりしながら「大橋茶屋の頃から、∧あんもち∨の名で出しているんですよ」。そうだ、あんもちって言っていたっけ、と思い出す。
 おじさんの弟が奥山さんのお父さんで、会社の定年後はがんづき作りの担当だった。そのお父さんが残したメモが味の復活に役立ったという。
 奥山さんの一日は、朝2時に起きて、もち米をふかすことから始まり、あんもち120〜150個、がんづきは白黒合わせて160〜200個を一人で手作りする。「今はもち粉を使ってやわらかに仕上げる傾向ですが、うちのあんもちは昔ながらの歯応えも大切にしています」。原料のもち米は宮城県美里町産のみやこがねだ。
 あんもちを作るというので、見せてもらった。奥山さんの手の中で、餅が小豆あんをくるりとくるみ、釣り鐘形に整えられていく。その早いこと、あっという間。「餅が50グラム、あんが50グラム。おんちゃんはこの真ん中をペコって押したんだよ」と奥山さん。
 両手にずっしり下げて帰ったお土産のあんもち。なんと懐かしく、なんとしっかりした餅だろう。「これぞ、あんもち、力もち!」さあて、もうひと踏ん張りだ。

◎6月16日は「和菓子の日」

 奥山さんから6月16日は「和菓子の日」と教えられた。
 旧暦の6月16日にかつて行われていた「嘉祥(かじょう)」という行事にちなんでいる。
 嘉祥の行事の起源は諸説あるが、その一説に848(承和15・嘉祥元)年の夏、仁明天皇が御神託に基づき、6月16日に16の菓子や餅を神に供え、疫病よけと健康招福を祈り「嘉祥」と改元したと伝えられる。
 徳川家康も嘉祥の行事を尊んだ一人で、6月16日には江戸城の500畳の大広間に、約2万個のようかんやまんじゅうが並べられ、将軍の手から大名や旗本に配られた。
 また、夏の土用の丑(うし)の日には、厳しい暑さを精のつく食べ物を食べて乗り切ろうという風習があり、うなぎが有名だが、うなぎ以外にもさまざまな土用食があった。その一つが、餅を食べる「土用餅」の風習で、古くは宮中の習わしでみそ汁に餅を入れたものを土用の入りに食べていたが、江戸時代には旅人にも食べやすいあんころ餅になった。
                ◇
 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


2019年06月10日月曜日


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