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<商業捕鯨の針路>石巻・鮎川から(1)再始動/空白31年 需要に不安

最後の調査捕鯨で鮎川港に水揚げされるミンククジラ=4月、石巻市鮎川

 日本政府の国際捕鯨委員会(IWC)脱退に伴う商業捕鯨が7月1日、31年ぶりに再開する。有数の捕鯨基地として栄えた宮城県石巻市鮎川などは悲願の成就を歓迎する一方、長期に及ぶ空白の間に産業構造や国民の食生活は変わり再開の前途は見通せない。歴史的転換点に臨む商業捕鯨の針路を展望する。
(石巻総局・関根梢)=5回続き

■沸いた被災地

 商業捕鯨再開の報に、あの日の光景がよみがえった。
 東日本大震災の発生から間もない2011年7月。鮎川の捕鯨会社鮎川捕鯨の第28大勝丸と第8幸栄丸が震災後初めて操業し、北海道沖でクジラを捕獲した。
 水揚げの知らせは瞬く間に被災者が住む仮設住宅に広がり、購入を求める声が続々と同社に寄せられた。津波で壊滅した捕鯨の町が再起を信じた瞬間だった。
 「捕鯨で生きる使命を改めて自覚した」。伊藤信之社長(56)は胸に刻む。
 8年後の今夏、同社は本社前に鯨肉の直売所を開設する。新築した建物の壁にはクジラの絵が描かれた。
 「地元の人たちが集まって鯨料理のアイデアを出し合うような交流の場になってほしい」。同社執行役員の菊田憲男さん(65)は商業捕鯨と合わせ、鯨
食の広がりに期待を込める。

■採算取れるか

 復興を勢いづかせる鮎川の悲願。それは31年という膨大な時間の代償をも突き付ける。立ちはだかるのは「採算が取れるか」(菊田さん)という現実だ。
 日本の食卓から鯨肉が消えて久しい。戦後、鯨肉は国民の貴重なタンパク源だった。ピーク時の消費量は23.3万トン(1962年度)。ここ30年で激減し、17年度は3000トンとピークの1.3%になった。
 08、09年のノルウェー、アイスランドからの鯨肉輸入再開も国内の捕鯨業者にとって逆風となった。
 輸入量は年間1000〜2000トン。加工業者は肉質が安定し、比較的安価な外国産の鯨肉を求める。鯨肉市場は「ここ10年ほどで買い手市場になった」(菊田さん)。
 激変する環境に、捕鯨業者は事業形態の刷新を迫られている。
 商業捕鯨撤退後、沿岸捕鯨業者は国の補助がある調査捕鯨とその副産物販売のほか、規制対象外のツチクジラ漁で糊口(ここう)をしのいだ。
 かつて、水揚げされたクジラは余す所なく使われ、捕鯨産業は鯨油や鯨肥などと共に発展した。今、関連事業は衰退し、失われた技術も多い。
 菊田さんは「採算を取るには1頭当たりの単価を上げることが重要。6次化や生鮮品の直売などで可能性を広げたい。会社、地域を挙げての総力戦になる」と業界の将来を見据える。

■頼みは食文化

 当面の焦点は水産庁が定める捕獲頭数の上限だ。
 鯨の大和煮を看板商品とする「木の屋石巻水産」(石巻市)の木村優哉社長(34)は商業捕鯨再開を歓迎しつつ、「具体的にどれくらいの数量が捕れるのか分からない」と案じる。
 消費者の嗜好(しこう)は商業捕鯨の鍵を握る。頼みとするのは石巻など全国各地に根付く鯨食文化だ。木村社長は「宮城や釧路など産地を明示して販売できれば消費者へアピールできる。クジラ文化を絶やさないことが大切だ」と力を込める。

[商業捕鯨]鯨肉や鯨油を利用する商業目的で行われる捕鯨。国際捕鯨委員会(IWC)は1982年、一時停止(モラトリアム)を決定。日本は異議を申し立てたが米国からの圧力などで88年、商業捕鯨から撤退した。国内の沿岸捕鯨業者は調査捕鯨とツチクジラなどの小型捕鯨を行っている。


2019年06月27日木曜日


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