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<商業捕鯨の針路>石巻・鮎川から(3)400年の共生/食文化 次代につなぐ

クジラ商品が並ぶ太地町のスーパーで地元の鯨食文化を説明する貝参事

■ ずらりと陳列

 クジラの胸びれを加熱し薄切りにした「てっぱ」。内臓をゆでた「うでもの」。塊の冷凍肉。スーパーの陳列棚は地域に根付く豊かな鯨食文化を伝える。
 紀伊半島の南端近い和歌山県太地町は古式捕鯨発祥の地だ。約400年前に始まり、「鯨一頭七浦潤す」といわれるほどの富をもたらした。近代捕鯨移行後も石巻市鮎川と並ぶクジラの町として知られる。
 現在、年間水揚げ約800トンのうち、ゴンドウクジラやツチクジラなど海洋哺乳類が約3割を占める。「生の鯨肉が入荷すると(豚や鶏など)他の肉が売れなくなる」。太地町漁協の貝良文参事(59)が暮らしへの浸透ぶりを語る。
 商業捕鯨再開を受け、町漁協は7月、鮎川の捕鯨会社などと船団を組み、釧路沖へ出漁する。貝参事は「商業捕鯨が始まれば肥えたクジラを新鮮な状態で提供できる」と期待を寄せる。

■ 活動家が町へ

 調査捕鯨と商業捕鯨の違いは漁の効率性にある。
 生息数などデータ獲得を目的とする調査捕鯨はクジラの群れの有無にかかわらず決められた航路を通り、無作為抽出したサンプルを捕る。商業捕鯨は群れを追いながら、水産庁が定める漁獲枠内で商品価値の高いクジラを捕獲でき、戦略的に販売できる。
 不安もある。商業捕鯨撤退後の31年間、調査捕鯨への参加に伴う国の補助金含みの収益構造が定着した。貝参事は「すぐ打ち切られれば厳しいが、いつまでも国頼みとはいかない」と産業基盤の再構築を期す。
 捕鯨を巡り、町には苦い記憶がある。
 2009年、太地町のイルカ漁を批判した映画「ザ・コーヴ」が公開された。世界各地の反捕鯨活動家が町に押し寄せ、地元漁師と緊張状態に陥った。町漁協前の荷さばき場には「撮影禁止」と英語で書かれた表示板が今もある。

■ 給食を無償化

 国際世論の攻撃を受けた太地町だが、クジラと共生の歴史もまた長い。
 戦後間もなく、南極海の商業捕鯨が最盛期を迎え、各国が競って漁をした。捕鯨船の名砲手を多数抱える町は活気づいた。その傍ら、庄司五郎町長(当時)は資源の枯渇と産業衰退を案じ、観光化を模索した。
 1969年、町立くじらの博物館が開館。入館者は最盛期、年間約48万人に上った。本年度の町予算には収益の5000万円が繰り入れられ、学校給食の無償化につながった。三軒一高(さんげんかずたか)町長は「太地は過去、現在、未来とクジラに関わり続ける」と断言する。
 「商業捕鯨の禁止は長い捕鯨の歴史を持つ町にとっては悲しいことだった」。地域捕鯨推進協会(福岡市)の代表理事も務める貝参事は歩みを振り返りつつ、「おいしい鯨肉を提供できるようになるのが楽しみだ」と捕鯨新時代へ気持ちを高ぶらせる。

[和歌山県太地町]人口約3000、面積5.81平方キロメートルの県内最小の町。町全体が熊野灘に面し、イルカや小型のクジラを湾内に追い込んで捕獲する「追い込み漁」が盛んに行われている。同町の追い込み漁を題材にした「ザ・コーヴ」は2010年に米アカデミー賞を受賞し、日本国内でも上映の是非を巡って議論となった。


2019年06月29日土曜日


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