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<東京五輪 1964年の記憶>聖火ランナー 消えない火 若者つなぐ

走り終えた井口さん(手前左)から聖火を受け継ぐ三品さん(同右)。町の目抜き通りは多くの人であふれた=1964年9月28日、宮城県岩沼町
三品 富雄さん
菊地 正則さん
井口 経明さん

<トーチから煙が>
 沿道は人、人、人で埋め尽くされていた。1964年9月28日、宮城県岩沼町(現岩沼市)の目抜き通りを聖火が駆け抜けた。
 ランナーの一人、岩沼市の農業三品富雄さん(76)は声援に感激した。
 「実際に走ったのは2キロくらい。短く感じたよ」。小旗が沿道にはためく姿はまるでマラソンの国際大会のようだ。
 準備は入念だった。リハーサルは春から数度行われている。「いつも晴れていたのにねえ」。本番は雨。悪天候の影響で予定より時間がかかった。「もっと急いでください」。並走する白バイ隊員の催促する声が耳に響いた。
 トーチは水に落としても火が消えないと言われていた。オレンジ色の炎は、小ぬか雨など物ともしなかったが、煙もすごい。
 「雨だったからかな。顔の近くにもうもうと下りてきた。木を燃やした臭いとは違う。化学反応というか、嫌な臭いでねえ」。トーチの向きや、腕の角度を小まめに変えて避け続けた。
 町内を走ったのは三品さんを含めて4人。みんな体力のある若い男性ばかりだった。「学生、一般、町職員、バランス良く選んだんだろうね」
 岩沼市の元市職員、菊地正則さん(77)が、三品さんからトーチを引き継ぐ。
 前年の暮れに役場入りしてすぐ、上司だった課長に言われた。「お前走れるんだろ。だったら、役場を代表して走ってみろ」
 職場に若い男性は自分だけ。走る自信はあったが「人前ではちょっと…」。何とか理由を付けて断ろうとしたけど逆らえない。自宅前は走りたくなかったので、田んぼに囲まれた郊外のコースを選んでもらった。

<心に残るものに>
 今回の聖火リレーで、岩沼市は東日本大震災の慰霊公園「千年希望の丘」がコースに組み込まれた。1人当たりの距離は約200メートル。前回よりずっと多くの人が聖火を持てるはずだ。
 55年前、町の最初のランナーだったのが、後に岩沼市長となる井口経明さん(73)。井口さんは心に引っ掛かっていることがある。
 「副走者や中学生の伴走者ら、聖火の一団は20人を超えていたけど、みんな男。今回は女性も入るだろうし、車いすの人も参加できるといいねえ」
 2キロの道のりは「古里に目を向ける機会」となり、当時浪人生だった青年が政治家を志すきっかけとなった。今回のリレーも、多くの人の心に残るものになることを望んでいる。


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2019年07月01日月曜日


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