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<聖火への願い 被災地から>走る姿で明るさ運ぶ 宮城県車いすダンス協会副理事長丹野泰子さん

車いすダンスを披露する丹野さん(右)=仙台市太白区

 「復興五輪」をうたう2020年東京五輪・パラリンピックは24日で開幕まで1年となった。東日本大震災の被災地では今も600世帯以上がプレハブ仮設住宅で暮らし、東京電力福島第1原発事故の影響が続く。掲げた理念は実現するのか−。五輪に関わる東北関係者に思いを聞いた。

 <NPO法人宮城県車いすダンス協会副理事長丹野泰子さん(57)は1996年に友人の誘いで車いすダンスを始め、競技者、指導者として活躍してきた。98年長野パラリンピックの開会式にはダンサーとして出演。東京五輪では聖火リレーのランナーに応募した>

◎復興は一握り
 長野パラリンピックでは、全国から集まった約120人のメンバーとダンスを披露した。総合プロデューサーは作曲家久石譲さん。リハーサルから本番まで独特の熱気に包まれ、世界最大のスポーツの祭典の緊張感を味わえたことは、一生の財産だ。今度はランナーとして、少しでも多くの人にエネルギーを届けられたらと思っている。

 <気仙沼市の大島で生まれ育ち、東日本大震災で親族や同級生らが被災した。古里の復興は道半ばだ>

 津波の後、消防団員の兄は火災の延焼に備えて寝ずの番をし、友人は避難所の世話役を務め疲弊していた。少しでも力になりたいと思ったが、食料を送るのが精いっぱいだった。
 8年を経て建物は復旧したが、地域の環境やコミュニティーが変化し、本当に復興したと言える人は一握りではないか。復興五輪という言葉には強い違和感を覚える。
 だからこそ、自分がランナーとして走る姿を見てもらい、何秒かでも明るい気持ちになってもらえたら、と思う。多くの人の支えで仕事や育児をしてきた。自分はここで生きている。苦しいだけじゃないよ。そんな思いを込めて走りたい。

 <政府はバリアフリー、共生社会実現を「最大のレガシー(遺産)」とすることを目指している>

◎バリアー薄く
 課題は多いのではないか。震災時、仙台市内の障害者相談支援事業所で当事者として相談に乗る「ピアカウンセラー」を務めていた。利用者と過ごしていた時に地震が発生した。家族と連絡がつかず帰宅できない方がいたため、その人の家に近い学校の避難所に問い合わせると「車いすの人は難しい」と断られた。「じゃあ、どこに行けばいいの」と、途方に暮れたことは今も忘れられない。
 スロープがあっても傾斜がきつかったり、狭かったりして実際に利用できない例は少なくない。当事者の声を聞き整備してほしい。
 障害者をどう手助けしたらいいか分からない、と感じる人も多いかもしれないが、まずは気軽に声を掛けてほしい。パラリンピックの開催を契機に、健常者とのバリアーが少しでも薄くなることを願っている。(報道部・菊池春子)

[たんの・たいこ]1962年、気仙沼市生まれ。高校3年時に進行性の病気を発症し、27歳から車いすで生活。2001年、第1回全日本車いすダンススポーツ競技会のビギナークラスのワルツ部門で優勝。06年に車いすダンスインストラクターの資格を取得した。仙台市宮城野区在住。


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2019年07月27日土曜日


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