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栗原・旧花山村の住民2人、「わが村」への思い語る 7月末人口1000人割れ

移転された御嶽神社の境内を眺める佐藤さん=1日、栗原市花山
長男竜太朗君と自宅近くで会話する中村さん=7月31日、栗原市花山

 7月末時点の住民基本台帳人口が1000人を割り込んだ宮城県栗原市の旧花山村。花山ダム建設による住居移転や平成の大合併を見届けた最後の村長と、東京から古里に戻り子育てとシイタケ栽培に汗を流す女性に「わが村」への思いを聞いた。

◎ダムと合併の影響 大きく/4期14年、最後の村長 佐藤千昭さん(71)

 栗原市花山で妻年子さん(69)と2人で暮らす。2005年の閉村まで村長を4期14年務めた。
 花山ダムができる前の中心街は、目抜き通りに商店が並んでいた。花山鉄砲まつりの前身の「御嶽神社」の春祭りが行われ、子どもから大人まで大勢でにぎわった。各集落から持ち込まれる山車の大きさに圧倒された。
 1952年に花山ダムの建設が始まり、高い所に道路が造られた。御嶽神社の境内はそのまま高台に移された。小学校低学年だったが、ダムが完成したら人がいなくなると子どもながらに思った。
 中学の同級生は約120人いた。当時はコメと林業で十分食べられたので、長男はだいたい地元に残った。父千代正さん(故人)は、県有林の管理を任された地域組合の代表。多い時は20〜30人の作業員を連れて現場に下草刈りに行った。
 75年以降、木材価格が下がり米価も下落して、村を離れる人が増えた。村長を目指したのも「過疎に歯止めをかけたい」との思いからだった。
 村長時代は村地域振興公社での地元雇用、宅地分譲による移住促進など、やれる人口減対策は何でもやった。しかし流れは止められなかった。10町村の大合併後、花山からの転出が増加。旧村役場や公社の地元勤務者が減り、旧村を離れる人が増えていった。雇用の問題は思った以上に大きかった。
 花山は他の地域にとても貢献している。地域の大半を占める森林は、水をつくる大工場だ。二酸化炭素を吸収して温暖化防止にも役立っている。これほど水と酸素を生んでいる地域はなかなかない。
 生まれ育った花山を誇りに思う。生きている限り、ここで暮らしたいと考えている。

◎若い世代の転入増 心強い/古里に戻りシイタケ栽培 中村友紀さん(36)

 栗原市花山で夫博さん(43)、長女百花(ももか)さん(11)、長男竜太朗君(7)、祖母、父母の3世代7人で暮らす。
 高校卒業後、上京して東京ディズニーランドなどで働いた。憧れていた都会の生活は楽しかったが、時間の流れの速さに疲れを感じた。
 道路脇のアジサイが色付き始めても立ち止まって眺めることはなく、真っすぐ前だけ見て仕事に向かう。そんなせかせかした生活よりも、ゆったりとした故郷の時間の流れが合っていると気付いた。
 子どもの頃、祖父母や父の畑仕事をよく手伝った。土に触れること、生き物を育てることが楽しかった。付き合っていた博さんに古里での就農を提案すると、快く賛同してくれた。
 結婚翌年の2005年、夫と実家に戻った。農業について一から学び、今は自宅そばのハウスでシイタケを栽培している。
 2人の子どもは、花山小に通う。全校児童数は23人。人数は自分の頃の5分の1だが、教師のサポートは手厚い。埼玉県川越市出身の夫は「自分は塾で勉強を教わったが、花山小はその心配がない」と小規模校ならではの行き届いた目配りに驚いた。
 小学校時代の同級生20人の多くは、関東や仙台などで暮らす。旧花山村には自分を含め3人しかいない。周りはお年寄りばかりだし、人口が1000人を切ったことに驚きはない。
 最近、地域おこし協力隊員ら若い世代の転入が増えている。15年ぶりに再会した高校時代の同級生もその一人。花山を思って戻ってきてくれたことを心強く感じた。
 ゆったりとした時間の流れが好き。この場所の自然、空気、人の温かさを気に入って移り住んでもらえたらと願っている。


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2019年08月02日金曜日


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