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<東京五輪 受け継ぐレガシー>修羅場経験 厳しく育成

教え子の走りをチェックする班目さん=6月、福島県泉崎村の泉崎国際サイクルスタジアム

 1964年の東京五輪で培われた競技の土壌は、今もなお東北に生きている。レガシー(遺産)を受け継ぎ、新たなアスリートを生み続ける現場を追う。
(2020年東京五輪取材班)

 福島に数々の名ライダーを輩出してきた「虎の穴」がある。指導するのは、64年東京五輪で2人乗り自転車の男子タンデム・スプリントに出場した班目(まだらめ)秀雄さん(75)=福島県白河市体育協会会長=だ。
 「それ、踏んで踏んで」。福島県泉崎村にある泉崎国際サイクルスタジアムに、大きな声が響く。バンクで必死の形相でもがく選手たちを見守る眼光は鋭い。
 五輪後、競輪選手の傍ら、県内の高校生や卒業生を教え始めた。日中はトラックで走りをチェック。夜は自宅近くに設けたトレーニング室で鍛える。
 教え子はそこを「道場」と呼ぶ。2004年アテネ大会の男子チームスプリントで銀メダルに輝いた白河市出身の伏見俊昭(43)=白河実高出=ら100人以上が巣立った。
 64年。班目さんが出場した一度きりの五輪は、ほろ苦かった。2人乗りの後ろで相手の動きを観察し、相方に合図を送るのが役割。予選のハンガリー戦、後方にいた相手のスパートを察知するのが遅れた。ラスト1周の第4コーナーでまくられ、負けた。
 「今思えば『五輪に出られてうれしい』というくらいの気持ちだった。どこまで一生懸命だったのか」。タンデム・スプリントは日本代表の3〜5番手が出る種目。メダルの期待も感じていなかった。「五輪は、周到に準備し、心の強さがないと勝てない。出られて万歳では駄目。それを分かっていなかった」
 五輪で得た教訓が自身を支える。「他の指導者は修羅場をくぐっていない」。残念な思いをしたからこそ門下生を厳しく育てている。

 20年東京五輪に男子ケイリンで出場を目指す会津若松市出身の新田祐大(33)=日本競輪選手会、白河高出=もその一人。今年2月の世界選手権ケイリンで銀メダル。現在は世界ランキング1位につける。
 高校時代は帰宅して夕飯を済ませるとすぐに班目さんのところへ。夜の10時半ごろまで、トレーニング室で筋力強化に励んだ。競輪選手になってからもアドバイスを受けてきた。
 高校当時、運動能力に目を見張るものはなかった。与えられた課題をスムーズにクリアできたこともなかった。ただただ、めげずに練習し続けた。
 「うまくいかないことが悔しくて、真剣に課題に取り組んだ。精神的にも肉体的にも土台をつくれた」と新田。「才能を持った天才ではなく、努力の天才だ」。班目さんはまな弟子をこう評する。
 東京五輪ではメダルの有力候補に挙げられる。「福島の選手として、地元に胸を張って結果を報告したい」と新田。力強い言葉に自信がみなぎる。


2019年08月02日金曜日


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