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<東京五輪 受け継ぐレガシー>熱意受け継ぎ伝統守る

メキシコ五輪重量挙げで金メダルの三宅義信さん(中央)と銅メダルの義行さん(右)=1968年
学生を指導をする三宅義信さん=7月、埼玉県川越市の東京国際大第2キャンパス

 1964年の東京五輪で培われた競技の土壌は、今もなお東北に生きている。レガシー(遺産)を受け継ぎ、新たなアスリートを生み続ける現場を追う。
(2020年東京五輪取材班)

国体契機に普及

 宮城県大河原町にある柴田農林高。ウエートリフティング部の練習場の壁に、古びたカラー写真が飾られている。
 1968年メキシコ五輪、フェザー級の表彰台。真ん中には、64年東京五輪に続いて2大会連続で金メダルに輝いた三宅義信さん(79)が立ち、右に銅メダルを獲得した弟の義行さん(73)が並ぶ。写真の脇には「根性」と墨書した義信さんの色紙も。
 同県村田町で生まれ育ち、隣町にある同校で腕を磨いた2人。兄弟が同一種目で表彰台に並ぶのは、近代五輪史上初めての快挙だ。「ミヤケ」の名前は世界に広まった。
 「体は小さかったけど、力はあった子だったね」。義信さんを指導していた県ウエートリフティング協会の坂口政史顧問(87)は懐かしそうに振り返る。
 宮城では52年の国体開催を契機に競技が普及した。まずは東北大の学生を選手として強化し、その学生が県内の教員となって各地で広める。競技の土壌がつくられていった。

合同合宿で強化

 三宅兄弟の活躍で名声は頂点を極めた。しかし、その後宮城から五輪に出場したのは92年バルセロナ大会の佐藤和夫さん(49)=現宮城農高監督=だけ。近年は西日本勢の台頭が著しく、宮城を含めた東北勢の成績は低迷してきた。
 危機感が東北の指導者たちを揺り動かす。「東北から再び五輪選手を」。90年代半ばから、6県の高校生を集めて合同合宿が開かれるようになった。
 柴田農林高監督の塚目利喜雄さん(59)が開催の音頭を取った。「選手育成はもちろんだが、指導者の見る目を育てる意味もある」と意図を説明する。東北から指導者が集まり、情報を共有することで実力の底上げを図った。
 義信さんも故郷に思いをはせてきた。90年代に自衛隊体育学校長を務めていた頃は、宮城の高校生を埼玉県にある練習施設に招き、重量挙げへの心得を説いた。2014年の創部以来監督を務める東京国際大ウエートリフティング部には現在、4年生で柴田高出身の鳥島輝選手が所属する。
 「素晴らしい指導者がいて、それに協力する人がいるから宮城は強くあり続けると思う」と義信さん。塚目さんは「最近の選手には伝わりにくいが、義信さんが言う根性やハングリー精神は重量挙げで大切なこと。功績や熱意を宮城で受け継いでいきたい」と語る。


2019年08月05日月曜日


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