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<仙台いやすこ歩き>(105)氷屋さん/48時間かけ純粋さ追求

 ミーン、ミーン…、滴り続ける汗。夢見るオアシスは氷の世界、とばかりに2人がたどりついたのはまさに氷屋さんである。仙台市青葉区柏木にあるマルトミ製氷販売所で、迎えてくれたのは代表の早坂元伸(もとのぶ)さん(69)。実は中学時代の私の通学路で、たたずまいはちっとも変わっていない。そう話すと、「うちに製氷機が入ったのは昭和7(1932)年ごろで、その前から変わっていないんじゃないかな」と早坂さん。
 製氷を始める前は雑貨屋で、氷の販売もしていたとのこと。「ここはかつての奥州街道で、青葉区立町にあった田中製氷冷蔵さんが天然氷を運ぶ途中、うちにも卸していたんですよ」
 天然氷とは? 昔、泉区丸田沢(現・水の森自然公園内)では冬に沢水が厚さ30センチの氷となり、それを氷室で保存し、夏に仙台へ運んだのだそう。
 「氷作りの基本は、当初から変わらないよ」と、早坂さんは店の奥の工場に案内してくれた。階段を上ると木の床が広がり、何とこの下で氷が作られているというのだ。
 床の下には塩化カルシウムを混ぜた溶液の槽があって零下10〜12度に保たれている。その中にアイス缶と呼ばれるステンレス缶を浮かべ、缶に入れた水を凍らせる。出来上がった缶を取り出すと、中から高さ130センチの氷柱が現れる。
 目の前で次々展開する作業を食い入るように見つめていた2人は、純氷と呼ばれる完成した氷の美しさに感激しきり。48時間かけてゆっくり凍らせることで、不純物や空気も排除された純粋な氷ができるのだ。
 「店に下りて、見ててごらん」と促されるままに階段を下りると、さっきの氷は木の滑り台を下ってスルーっと店先へ。そこでカットされ、貯蔵庫へと入れられていく。何と無駄のない家内工場だろう。
 出来たての氷をいただくことになった。カランコロン、氷を浮かべたグラスは見るからに涼しげで、口にすると「何これっ!」とすっとんきょうな声を上げてしまう。
 早坂さんも、そばで見守る94歳のお母さんの以稀子(いきこ)さんも、にこにこと「普通の野菜ジュースですよ」。氷が違うと、こんなに味が違うんだ。においもざらつきもない氷を、2人はボリッ、ガリッと口の中で楽しみながら、以稀子さんのお話を聞く。
 以稀子さんの亡くなったご主人・富雄さんは、伯父さんから店を継いだ。「私も長靴履いて、氷用のこぎりで氷を切っていたの。手も何度も切りましたよ」
 得意先は料理店や鮮魚店、酒屋、病院などで配達はご主人と子どもたち。氷を積んだリヤカーをバイクで引くお父さんを自転車に乗った小学生の子どもたちが追い掛け、配るのを手伝った。その3番目の男の子が元伸さんだ。懐かしい昭和の風景が浮かんでくる。
 以稀子さんもお元気だが、早坂家では何と氷冷蔵庫もバリバリの現役だ。
 マルトミの伝統技術のもとに作られる氷は、今は飲食店を中心に、夏祭り、街中で話題のかき氷店などでも使われているというからうれしくなる。
 ほてった体にシャキッとした純氷。晩夏の宵はロック酒やロックワインもいいかもしれない。

◎夏に氷1600年以上も前から

 日本では1600年以上も前から、冬の間に蓄えた氷を夏に味わっていた。それは、夏でも氷が残る洞窟(氷穴)の氷を利用したものだった。旧暦の6月1日は「氷の朔日(ついたち)」と呼ばれ、平安時代まで宮中では天然氷を食べる行事があった。また、江戸時代には各地から将軍に天然氷が献上され、沿道には冷たいしぶきを浴びようと江戸っ子が並んだ。
 氷で食品を冷やす氷冷蔵庫が使われたのは明治時代から。当初は天然氷を使っていたが、英国から製氷技術が導入され、製氷が始まった。
 水は、あらゆる物質を溶かし込む一方で、氷になる時はあらゆる含有物を排除して純粋になろうとする性質を持っている。ただし、この性質は急速冷凍では発揮されず、長い製氷の歴史の中で、135キロの水は零下10度、48時間で純氷となるという基準が得られた。
 氷冷蔵庫は電気冷蔵庫と違って、湿度があって食品の水分が保たれるため、材料の鮮度保持に気を使うすし店などで使われている。
              ◇
 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。
=次回は9月2日掲載=


2019年08月19日月曜日


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