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核なき世界 願いは次代へ 広島での被爆体験伝えた小湊さん逝く

児童に被爆体験を語る小湊さん=2017年1月、加美町宮崎小

 17歳の時、広島市で被爆した小湊玲子さんが20日、宮城県加美町宮崎の自宅で亡くなった。91歳だった。2016〜18年に計13回、町内の小学校や公民館で、自らの体験を語った。県内で数少ない生き証人として、核による惨禍を子どもらに伝え続けた。
 1945年8月6日の朝、17歳の少女は爆心地から1.2キロ離れた勤務先の市の健康指導所で、ごう音と爆風に襲われた。がれきの中からはって出ると、辺りは何もなくなっていた。
 「ただただ明るくて広々とした光景。心に染み入るような静けさ。その二つは今でも記憶に残っている」
 しばらくすると空が暗くなり、激しい雨が降った。
 「火照った体に気持ちよく、喉も渇いていたので、大きな口を開けて雨粒を飲んだ。放射能をたっぷり含んだ『黒い雨』だった」
 医師だった父は毎日、小湊さんの顔や腕に突き刺さったガラス片をピンセットでつまみ出した。40度以上の熱が続き、頭が地の底に引き込まれる感覚に苦しんだ。卒業した女学校の後輩223人は必死の思いで避難所に向かったが、全員亡くなった。そんな壮絶な体験を約30分間、台本や資料もなく語り続けた。
 結婚後は主婦として、夫の転勤に伴って各地を転々とした小湊さんは約20年前、宮城県の旧宮崎町に移り住んだ。10年前に夫を亡くした後は1人暮らしだった。2016年2月、加美町の広原小の児童に講話したことをきっかけに、次代へ伝える責務を感じるようになったという。
 近くのギャラリー主宰、常陸れいさん(77)は小湊さんに水彩画を教えたり、講演に付き添ったりした。常陸さんは「穏やかな人だった。声もきれいで、話に引き込まれた」と惜しむ。
 小湊さんは講話の最後に毎回、平和への思いを子どもたちに託していた。
「やりたいこともできずに命を絶ち切られた子どもがたくさんいたことを決して忘れないで。二度とあんな悲惨なことが起きない世界をしっかりつくり上げる大人になってほしい」
 終戦から74年。3人の娘らにみとられ、静かに息を引き取ったという。

[宮城県内の被爆者]宮城県によると、宮城県内で被爆者健康手帳を持つ人は116人(26日現在)。75人が広島で、41人は長崎でそれぞれ被爆した。平均年齢は82.56歳(3月末現在)。


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2019年08月28日水曜日


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