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<とうほくドローンeye>おくのほそ道編(7)名取/塚はいづく

いつの頃からか墓の近くに群生したススキ

 「歌枕見てまいれ」。平安時代の中ごろ、時の天皇の勘気を被り、陸奥守に追いやられた貴族がいたという。名は藤原実方(さねかた)。
 『小倉百人一首』にも選ばれた王朝歌人は赴任地で没し、名取に塚を残す。後の世に西行が訪れ<朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯れ野の薄(すすき)かたみにぞ見る>と弔った。
 芭蕉がたどり着いたのは五月雨のころ。道を尋ね、笠島の地に「形見の薄」があると教えられたが、ぬかるみに難渋した。遠く望んだだけで通り過ぎた芭蕉は∧笠島はいづこ五月のぬかり道∨と詠む。
 実方の墓は今、すぐ近くで農業を営む板橋俊一さん(70)が守っている。「うちの家は代々の墓守で、私は15年ほど前に父から引き継ぎました」
 手入れの行き届いた墓の傍らには、1本の見事な榊(さかき)の木。ここに千年前の歌人が眠ることを気高く伝えていた。
(写真部・庄子徳通、小林一成)

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2019年09月05日木曜日


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