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<双葉病院・現地ルポ>東電旧経営陣に19日判決 福島第1原発事故、混乱の跡今も 

双葉病院の療養棟玄関。中で救助を待つ間、多くの患者らが身を寄せ合った

 東京電力福島第1原発事故の発生から、11日で8年半がたつ。その刑事責任を問われた旧経営陣3人に、東京地裁は19日、判決を言い渡す。福島県大熊町の双葉病院患者32人と、近接する介護施設の入所者12人の計44人を死亡させるなどした業務上過失致死傷罪が起訴内容だ。「現場」となった二つの施設を訪ねた。(福島総局・斉藤隼人)

■缶詰、ペットボトル散乱 布団に排せつ物の染み

 両施設の運営法人の許可を得て8月下旬、敷地内に入った。ともに旧町役場がある中心部に近い。第1原発から約4.5キロ。帰還困難区域内にあり、人けの全くない住宅街を抜けると「双葉病院」と書かれた建物が見えてくる。
 町道に面する門が白い鉄格子で固く封鎖され、その先の開けた空間を大人の背丈ほどにまで伸びきった草木が覆う。元々何のスペースだったのか、うかがい知ることができない。
 350床を備える双葉病院は精神科系の医療機関で、寝たきりの患者が多かった。療養棟1階の広間に30枚のマットレスが敷き詰められ、魚の缶詰やドッグフードが散乱している。使用されたトイレットペーパーが細切れにあり、排せつ物の染みが布団に残る。
 廊下には多数の車いすとベッドがふぞろいに放置されている。防護服の「タイベック」の商品袋や空のペットボトルが散らばり、ほこりが厚く積もる。
 調理室の床は落ちた皿で足の踏み場もない。冷蔵庫には「3月10日 酢レンコン」といったメニューと人数のメモが貼られ、8年半を経ても少しも変わらず当時の営みの様子が残る。
 両施設は屋外の至る所にクモが巣くう。舗装された地面は一面にこけむし、落ちていた傘はぼろぼろに朽ちている。歳月は、外の風景だけを変えたようだ。
 2011年3月11日、震度6強の揺れが大熊町を襲った。入院患者、施設入所者計436人。当初、原発に関する情報はほとんど入っていなかったが、生命の危険が刻々と迫っていた。
      
[東京電力福島第1原発事故]2011年3月11日の東日本大震災による地震と津波で、第1原発の原子炉6基のうち1〜5号機の全交流電源が喪失、原子炉などを冷却できなくなった。1〜3号機で炉心溶融(メルトダウン)が起き、1、3、4号機の原子炉建屋が水素爆発した。大量の放射性物質が放出され、福島県では最大16万4865人(12年5月)が避難。今年8月末時点でなお県内外に計4万2290人が避難する。事故の深刻度は国際評価尺度(INES)で史上最悪の「レベル7」。東電は全6基の廃炉方針を決め、30〜40年後の完了を見込む。


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2019年09月08日日曜日


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