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<東日本大震災 復興人>浪江の味届け続ける 新天地で3代目継承

焼きたてのパンを並べる今井さん夫婦

◎仙台市太白区・パン店経営 今井将文さん、まゆさん

 グレーを基調にした落ち着いた内装の店内に、焼きたてのパンの香りが漂う。食パンや菓子パンなど約40種類が並び、近所の家族連れやお年寄り、サラリーマンでにぎわう。
 仙台市太白区富田京ノ中に2018年1月に開店したパン店「レピコロレ」。社長の今井将文さん(44)、妻まゆさん(44)は福島県浪江町にあったパン製造販売会社「サン・メリー」の3代目夫婦だ。
 東京電力福島第1原発事故までは、将文さんの父勝美さん(72)と母栄子さん(72)を中心に、店頭販売のほか、沿岸部の大熊、双葉、浪江3町の小中学校向けに給食用パンと米飯5000食を毎日作っていた。
 自宅と隣接する工場は第1原発から約8キロの場所にあった。11年3月12日、町内の知人宅に避難していた時に原発のある方向から爆発音が聞こえた。翌13日に山形市の親類宅に身を寄せ、同年11月、まゆさんの実家がある仙台市に一家6人で移り住んだ。

 浪江町の一部は今も帰還困難区域に指定されている。子ども2人の通学を考え、仙台でパン作りの再開を決意した。店名は「特別な彩りを放つ穂」の意味。友人のフランス人が命名してくれた。
 移転を機に、将文さんが3代目を受け継いだ。浪江で20年以上パンを焼いてきた将文さんは、パリや東京で流行しているパンを取り入れながら、先代の味を発展させたカレーパン、浪江時代からの顧客の声に応えたミートパイなども並べている。

 開店1カ月後から、まゆさんは毎週火曜日に浪江町の仮設商店街「まち・なみ・まるしぇ」に出店し、サン・メリーの味を地元に届けている。
 接客を通じて知人の消息に触れる。「ここで買ったパンを息子が食べ、『高校で売っていたパンと同じ味だ』と懐かしがっていた」と聞き、涙がこぼれた。原発事故の避難者を対象にした高速道路の無料措置が続く限り、浪江通いを続けるという。
 将文さんは午後4時に帰宅し、同11時には自宅から約5キロ離れた店に戻り、パンを焼く。まゆさんも午前5時には店に入り、開店の準備をする。
 常連のお年寄りが訪れた。まゆさんが財布を預かり、代金を受け取る。いつも買ってくれるパンを、食べやすい大きさに切ってあげることもある。
 開店から1年8カ月。原発事故で今井さん一家の暮らしは激変したが、「地域密着」の基本姿勢に変わりはない。「お客さんが来た時、いつものパンがある店にしたい」とまゆさん。これからも当たり前の日常を提供し続けるつもりだ。
(報道部・佐藤素子)

<描く未来図>故郷の再生に協力

 子どもたちが浪江に行っても安心できる町づくりに貢献できることがあれば協力したい。大企業などに任せて全く違う町になるくらいなら、自分たちが協力した上で結果を受け入れたい。何ができるか、まだ完成図は想像できず、現時点での予想図になっている。


2019年09月10日火曜日


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