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東電旧経営陣に無罪判決 刑事司法の限界示す

 【解説】東京電力旧経営陣への無罪判決は、業務上過失致死傷事件で、危険を確実に予測できなければ刑事責任を問えないとする従来の司法判断を踏襲した。責任追及と再発防止を裁判に託した被害者の思いはかなわず、自然災害による大事故で企業経営者の過失を問う難しさを浮き彫りにした。
 市民で構成する検察審査会は原発の巨大リスクと、いつ、どこで起こるか分からない地震の災害特性を踏まえ「国の地震予測は絶対に無視できなかった」と判断。事故の未然防止の観点から地震予測の信頼性を緩やかに捉えていた。
 一方、刑罰の適否を慎重に検討する裁判所は「運転停止を義務付ける程度」の高い信頼性があったかどうかを吟味。専門家らの間に疑義が生じていたことを重視し、信頼性を否定した。不起訴とした東京地検と同様の判断で、市民と法律家との間で地震予測に対する捉え方の違いが際立った。
 刑事裁判は被告個人の責任を厳格に審理し、多くの部署が関わる大企業ほど立証が困難になる。判決では東電が国の規制に従っていた点も考慮された。民事訴訟では東電の過失を認める判断が続いており、過失は特定個人ではなく「組織全体」にあったと見ることもできる。
 事故前、電力会社には十分な根拠がなければ対策を取らない風潮があった。検察側は多額の経費が対策先送りの要因となったと主張したが、地裁は企業体質には踏み込まなかった。
 完璧でなければ参考にしないという姿勢では、地震予測は意味をなさない。実際に起きるまで、予測に異論があるのも当然だ。法を厳格に適用すれば「不確実な危険」に起因する事故は過失を問えないことになり、裁判所が「刑事司法の限界」を示したと言える。
 原発維持費はテロ対策などで膨張の一途だが、安全が最優先であることは論をまたない。原発事業者には自らの責務の重大さを自覚し、謙虚に災害予測に向き合う姿勢が求められる。(福島総局・斉藤隼人)


2019年09月20日金曜日


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