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東電旧経営陣に無罪判決 双葉病院患者遺族「裁判官の常識と大きなずれ」

事故直後の過酷な避難状況を記した病院資料を見つめる菅野さん。手前の写真は60代の頃の健蔵さん=8月、水戸市

 「被告人らはいずれも無罪とする」
 主文が読み上げられ、菅野正克さん(75)=水戸市に避難=は傍聴席で憤った。心のどこかに「無罪かもしれない」との思いもあったが「私たちと裁判官の常識には大きなずれがあった」。
 菅野さんは福島県大熊町の双葉病院に入院していた父健蔵さん=当時(99)=を亡くした。
 2011年3月12日。東京電力福島第1原発の半径10キロ圏内に避難指示が出された。前日の強い揺れの直後に無事を確認し、後は病院に任せていた。役場が用意したバスで転院し、すぐに戻れると信じていた。
 転院先から連絡があったのは4月5日。会津若松市内の病院でひと月ぶりに再会した。衰弱し、目を動かすのがやっとだった。「俺は百歳まで生きる」と豪語していた父。二度と会話できないまま6月12日に息を引き取った。
 翌12年秋、双葉病院からの説明で避難の詳細を初めて知った。
 停電のため医療器具が使えない病院に3日間取り残された後、医師も看護師もいないバスに乗せられて11時間移動した。底冷えする体育館に寝かされ、一緒に避難した14人はその夜を明かせなかった。
 元々重症だった父はどれほど命をすり減らしたことか。「長時間の移動を強いられ、生命に関わる相当なダメージがあった」。診断書にはそう記されていた。
 裁判では事故後3カ月以内の死亡しか「被害者」と認められず、1日過ぎた父は含まれない。だが、原発事故の犠牲者であることは明白だ。
 「『安全神話』はうそだった。真相を究明し、将来の教訓にしたい」。父の無念を晴らす一心で旧経営陣を告訴し、公判の度に足を運んだ。
 迎えた判決。法廷の旧経営陣は「当然の無罪」とでも言いたげに菅野さんの目には映った。「いまだに古里に戻れない人たちがたくさんいる。俺はまだまだ闘い続けるつもりだ」


2019年09月20日金曜日


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