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あの一言が名人を生んだ 利府の引地さん、減農薬でおいしいナシ作り

あきづきを収穫する引地さん=10月、利府町春日
畑に隣接した選果場でナシを選別する引地さん一家

 ナシの産地、宮城県利府町に知る人ぞ知るナシ作り名人がいる。最盛期、その人の直売所には果汁たっぷりの「あきづき」や「幸水」「かおり」を求める常連客の列ができる。思いがけずナシ農家に転身して三十余年、食べた人を笑顔にしたいと奮闘する名人には、今も忘れられない客の一言があった。

 丘陵地に広がる約70アールのナシ畑。棚に沿って四方に枝が伸びる。草が生い茂る土はふかふかと軟らかい。引地俊彦さん(68)が実践するのは「人にも環境にもやさしい農業」。土の中の微生物を活発に働かせるため、除草剤や化学肥料を使わない。根をしっかり張らせ、木が本来持っている力を引き出す。
 1987年、ナシ農家の父親が急逝して突然、家業を継ぐことになった。だが、継ぐ気がなかったから知識もない。仙台市消防局に勤務しながら、まさにゼロからのスタートを切った。
 その2、3年前、ある出来事があった。
 職場近くに贈答用を直接届けに行ったときだった。住人が硬い表情で吐き捨てるように言った。
 「これ、毎年送られてくるけど、おいしくないからいらない。持って帰って」
 父親が一生懸命に作った「長十郎」を突き返され、言葉を失った。何がいけなかったのだろう。他のナシと何が違うのだろう―。
 疑問を抱えたまま覚悟を決めた。「農家をやるからには、おいしいと言われるナシを作りたい」
 難解な専門用語に悩まされながら、本を読みあさって勉強した。町のナシ農家に頭を下げて教えを乞うた。
 防除を誤り毛虫が大発生したときは、妻よし子さんと一匹ずつ取り除いた。サラリーマンと二足のわらじで手が回らず、除草をしない草生栽培や不耕起栽培を試した。草が伸び放題の畑に冷ややかな視線を感じたこともある。「素人が遊び半分でやっていると思われていたのだろう」
 町の農家仲間と埼玉県のナシ農家に視察に出掛けたときのこと。生き生きとしたナシの木に目がくぎ付けになった。一本当たりの面積、枝の誘因や剪定(せんてい)方法、何もかも自分たちのやり方とは違った。利府のナシしか見たことがない仲間たちと口を開けて驚いた。
 埼玉の農家はこう付け足した。「長十郎なんてここじゃとっくに作ってないよ」
 仙台市に隣接する利府町は小規模な農家が多く、直売所での販売と贈答用の発送が大半を占める。100年も前に発見された長十郎を、ほそぼそと変わらぬ方法で作り続けていた。
 埼玉を視察して「利府は30年遅れている」と奮起した引地さん。栽培技術の研究に没頭した。省力化のための不耕起栽培が、実は根の保護に役立っていることが分かった。枝の仕立て方で実の付き方は変わるという。土壌改良、樹勢管理などを工夫しながら新たな品種を模索。群を抜く甘さとみずみずしさが特徴のあきづきに出合い、長十郎に接ぎ木をして切り替えた。栽培面積を拡大し、「ナシで食べていく自信が付いて」2003年に消防局を早期退職した。
 スーパーなどに並ばない利府梨は、わざわざ現地に足を運んで買ってくれる客との信頼関係で成り立っている。町全域が「利府梨の里」だが、統一した作り方がなく、農家ごとに技術も味もバラバラだった。
 「たとえ一部でも、おいしくなければ利府梨全体が沈んでしまう」。引地さんは07年から3年にわたって県外のナシ農家を招いた勉強会を開き、地区の栽培技術の底上げを図った。いつしか、「新参者」だった引地さんにベテラン農家らが栽培のこつを尋ねに来るようになった。味の良いあきづきを栽培する農家は増え、利府梨の代表品種は長十郎から替わった。
 落葉果樹は農薬や化学肥料の使用を前提に栽培技術が開発され、農薬を使わない栽培は困難とされる。けれども、引地さんが使う農薬は利府地区の病害虫防除基準の半分以下だ。
 減農薬のきっかけは07〜08年に起きた中国製ギョーザ中毒事件。混入していた有機リン系の殺虫剤は果樹栽培に当たり前に使われていた。
 「予防で(農薬を)まいていたらきりがない。病害虫が発生したらすぐにたたけばいい」。こまめに木の状態に目を配り、適切なタイミングを見極めて農薬散布の回数を減らす。
 「生物農薬」も大活躍だ。カブリダニが害虫のハダニを、テントウムシの幼虫がアブラムシを捕食。芯を食い荒らすシンクイムシは性フェロモン剤で発生を防ぐ。重労働の受粉作業はマメコバチの手を借り、その分を樹勢管理に充てる。
 創意工夫に満ちた栽培方法を学ぼうと、引地さんの畑には県外から視察が相次ぐ。惜しみなく技術を伝える引地さん。利府町の地域おこし協力隊員としてナシ栽培を学ぶ2人の青年の指導も買って出る。
 13年には、あきづきを香港に輸出。雨傘革命(14年)で中断したものの、予想を上回る注文を受け、利府梨が世界に通用する手応えを感じた。長男の崇さん(37)に事業を引き継いだ今も、糖度計の導入と特選品の選別を検討する。
 「(ナシを)取るまで百姓、取ったら商売人」。客と対面して販売する利府のナシ農家として、商品の発送や接客にも気を配る。
 名人のナシを食べた人は、こう口をそろえる。「こんなうまいナシ、食べたことない」「やっぱり引地さんとこのじゃないと」。称賛の言葉は北海道や沖縄からも届く。
 「お客さんの声を直接聞けるのがうれしい。ものづくりの醍醐味(だいごみ)だね」。最初はやむなく始めたナシ作りだったが、今では天職と実感する。もっと早くナシを作ればよかった。お客さんの喜ぶ声、おやじにも聞かせたかったから。
 盛夏から晩秋まで続いた収穫期を終え、11月はつかの間、骨休めのとき。もうじき枝の剪定作業が始まる。来年の目標も、もちろん「世界一うまいナシ」だ。
(デジタル推進室)


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2019年11月16日土曜日


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