宮城のニュース

震災10年の節目に モスクワ五輪フェンシング代表・千田健一さん、聖火ランナー内定

モスクワ五輪日本代表選手の認定証を前に、五輪への思いを語る千田さん=12日午後5時50分ごろ、気仙沼市松崎浦田の自宅

 2020年東京五輪の聖火ランナーに、1980年モスクワ五輪のフェンシング日本代表で気仙沼市体育協会事務局長の千田健一さん(63)、東日本大震災の津波で犠牲になった石巻市大川小児童の遺族らでつくる「大川伝承の会」共同代表の鈴木典行さん(54)が内定したことが12日、分かった。2人はそれぞれの思いを胸に、被災地を駆け抜ける。宮城県実行委員会は走者65人を内定し、本人に伝えた。25日以降に大会組織委員会が正式決定し、通知する。

 勤務先の気仙沼市総合体育館にいた千田健一さんのスマートフォンに、「内定」を知らせるメールが届いたのは午前9時36分。「喜びと同時に責任の重さを感じる」とかみしめた。
 「どういう形であれ東京五輪には関わろう」と決めていた。ボランティアとしての参加も考えたが仕事との両立が難しく諦め、聖火ランナーを選択した。
 五輪への思いは人一倍強い。「競技者としてモスクワの地を踏めなかった。自分にとっては今も五輪は特別な場所」と明かす。
 1980年2月、モスクワ大会の代表に決まった。国内選考レースで最も良い成績を上げた。わずか3カ月後、茨城県高萩市で本番に向けた強化合宿中、集められた食堂でボイコットの方針を告げられた。
 宇都宮市で高校の教員をしながら競技を続けていたが「喪失感で何もできなくなった」。いつかは古里の宮城県に戻るつもりだった。県の教員試験の年齢制限があり、4年後のロサンゼルス大会は断念した。
 82年に鼎が浦高(現気仙沼高)で指導者人生が始まった。ロス大会で活躍する後輩の姿をテレビで見て、「俺の方が強かったのに」と悔しさが募った。
 「『いつか五輪でメダルを取る選手を育ててやるぞ』という反骨心が指導の活力になった」。04年アテネから3大会出場した菅原智恵子さん(43)、08年北京から2大会連続出場し、ロンドン団体銀メダルの長男健太さん(34)を育てた。
 教え子の活躍は「幻の日本代表」として五輪に抱いていた複雑な感情を薄めてくれた。「最高の指導者人生だった」と振り返る。
 母校の気仙沼高で教頭を務めていた2011年、古里を津波が襲った。何人かの教え子が犠牲になった。鼎が浦高で全国大会を制したメンバーの1人も含まれていた。
 あれから8年9カ月。「気仙沼はたくましく立ち上がった。でも、まだ復興は道半ばだ」と感じる。
 モスクワ大会から40年、震災から10年目の節目に古里を走る。「自分は気仙沼の代表。五輪に参加できる喜びをかみしめながら、周囲に元気を伝える走りをしたい」と力を込めた。


2019年12月13日金曜日


先頭に戻る