宮城のニュース

林子平賛歌を再び世に 仙台文学館で楽譜発見 土井晩翠作詞、七五調で「生涯」表現

合唱祭での披露に向け、練習を重ねる海鋒さん(右端)と「ビバ・ボーイズ」のメンバー=昨年12月中旬、仙台市青葉区の仙建ビル

 江戸後期の仙台藩の思想家、林子平をたたえる土井晩翠作詞の歌が、長い時を経てよみがえる。1942年に作曲されて以降、存在が忘れ去られていたが、このほど仙台文学館(青葉区)で楽譜が探し出された。13日開催の「第21回男の合唱まつりinみやぎ」で歌われる予定で、再演は77年ぶりではないかという。
 仙台出身で「荒城の月」を作詞した土井による「林子平先生を讃(たた)える歌」は、林の没後150年祭の記念歌として作られた。作曲は海軍軍楽隊。海防の重要性を説いた林の生涯を七五調で紹介し、6番まである。
 楽譜を探し出したのは、仙台市の男声合唱団「ビバ・ボーイズ」所属の宮城学院女子大非常勤講師大崎健二さん(71)=青葉区=と、同合唱団指揮者の海鋒博美さん(84)=同=。
 2人によると、土井をしのび昨年10月に仙台市内で開催された合唱祭に参加した際、海鋒さんの父で音楽家の故義美さんが、土井と組んで校歌や社歌を作ったという話題になった。
 さらに海鋒さんは、義美さんの遺品の中に土井が作った林の記念歌があったと説明。しかし林の菩提(ぼだい)寺である龍雲院(青葉区子平町)の近所に幼少から住む大崎さんはそうした歌を全く聴いたことがなく、毎年7月20日に同寺で開かれる供養祭「林子平祭」でも歌われていなかった。
 そこで義美さんの資料を保管する仙台文学館で探したところ、楽譜が見つかった。「昭和17年7月20日」の日付で「荘厳に」との演奏指示が記されている。
 翌1943年1月、仙台中心部にあった「仙台座」で歌が披露された音楽会のパンフレットも収められていた。藤原歌劇団創設者の男性テノール歌手、故藤原義江が主催し、ピアノ伴奏を義美さんが担当したこともパンフから判明した。
 龍雲院では「初めて聞く話」と驚く。同寺では92年の没後200年祭で記念歌を募集しており、以前にも作られていたとは知らなかったことがうかがえる。
 大崎さんは「43年の音楽会以降、披露されていないとすれば、77年ぶりの再演になる。これを機に林子平祭でも歌うようになればいい」と話す。海鋒さんは「土井の自宅は仙台空襲で焼失し、父の家も死後、東日本大震災で損壊した。仙台文学館に楽譜が残っていてよかった」と語った。
 「男の合唱まつりinみやぎ」は青葉区の市青年文化センターで午前11時半開演。入場無料。

[林子平]1738年江戸生まれ。海防の重要性を説き「寛政の三奇人(奇人は優れた人の意味)」の一人に数えられる。しかし著書「海国兵談」などが人心を惑わしたとして幕府の怒りを買い、版木を没収された上、蟄居(ちっきょ)を命じられ、不遇のうちに93年病没した。


関連ページ: 宮城 文化・暮らし

2020年01月04日土曜日


先頭に戻る