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震災報道の使命つなぐ 阪神大震災から25年 神戸新聞社の災後入社6割に 勉強会で生の声聞く

震災の揺れで脱線、横転した阪神電車と燃える民家=1995年1月17日午前9時20分ごろ、神戸市東灘区
震災勉強会で質問する名倉さん(中央)=昨年12月13日、神戸市中央区の神戸新聞社

 6434人が犠牲になった阪神大震災から17日で25年がたつ。最も被害が大きかった神戸市に本社を置く神戸新聞社は、直後の混乱を取材していない記者たちが震災報道に携わる現実に直面している。教訓や課題の伝承は待ったなしで、社内で勉強会を重ねながら、震災報道のあるべき姿を模索している。
(報道部・高橋鉄男)

■当時を取材せず

 白髪になった専門家の言葉に熱が帯びる。「若い記者にこそ知ってもらわんと」。昨年12月13日夜、神戸新聞社本社の会議室で震災勉強会があり、記者約30人が復興まちづくりの苦闘に思いを巡らせた。
 勉強会は昨年9月から阪神大震災の遺族や市民、専門家を招き毎月開いている。入社2年目の記者、名倉あかりさん(24)も参加している。
 街の明かりが消えた1995年、兵庫県姫路市に生まれ、「あかり」と名付けられた。昨年の命日は手を合わせる遺族の取材に気後れした。「経験していない自分も伝える側に」と自らを鼓舞する。
 震災後に入社した社員は全体の約6割に上る。記者約260人のうち、直後の現場を知る取材記者はほぼゼロになった。
 震災当時、活躍した市民や専門家も今や60、70代。話が聞きたくても、鬼籍に入れば不可能だ。講師を招いて「継承の場」を用意したのは、そんな危機感が背景にある。
 同社は昨年10月から、毎週土曜の朝刊1面と3面に連載企画「災間を生きる−震災人脈」を掲載。四半世紀に及ぶ「災後」の営みをそのまま「災前」の備えにできているか−。救助やボランティアといったテーマごとに当時携わった人々の思いを伝える。
 担当する入社13年目の記者、金旻革(キムミンヒョク)さん(35)は東京都出身。震災当時は小学5年だった。「担当するまで震災に思い入れがなく、遺族取材も躊躇(ちゅうちょ)していた」

■終わっていない

 取材で驚いたのは、今なお熱っぽく当時を語る人の多さだ。「目の前で人が火にのまれた」と悔恨の思いを抱える消防団員。震災関連死、仮設住宅の孤独死…。災害が起こるたび阪神大震災が原点となった問題が繰り返されることに胸を痛める人もいた。
 「いまだに寂しい思いをしている人や、支える人もいる。震災は終わっていない」
 復興した街から震災の爪痕は見えず、人の記憶の中にしか現場はない。報道部震災担当デスクの畑野士朗さん(47)は「25年は、年齢的に当時社会の中心だった人から話を聞ける最後のチャンスかもしれない」と継承の使命感を語る。


2020年01月12日日曜日


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