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「それぞれの五輪」王貞治さんに聞く【インタビュー全文掲載】

「日本の底力を世界に」と語る王さん=東京都内のホテル
「日本の底力を世界に」と語る王さん=東京都内のホテル
「日本の底力を世界に」と語る王さん=東京都内のホテル

 夏に迫った東京五輪。かつて大舞台を彩ってきた人たちも期待に胸を躍らせている。それぞれの「五輪」を大いに語ってもらった(2020年1月に河北新報紙面とオンラインニュースに公開したインタビューの全文を掲載します)。

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[王 貞治(おう・さだはる)]東京都出身。東京・早実高から1959年に巨人入団。77年にハンク・アーロンの通算755本塁打の米大リーグ記録(当時)を抜き、プロ通算22年で868本塁打を残した。巨人、ソフトバンクと前身のダイエーの監督を務め、2009年からソフトバンク球団会長。

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 世界のホームラン王、王貞治さん(79)は1964年、一本足打法を確立し、55本塁打を記録した。2006年は代表監督として第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本を世界一に導いている。スポーツ界への熱い思いは少しも色あせない。
(聞き手はスポーツ部・岩崎泰之)

 ―56年ぶりの東京五輪です。

 「前回は自分も若く、五輪がどうやって決まり、どういうふうに開催されるのか想像できなかった。日本開催というだけで、自分たちとの距離も遠かった。でも今回は開催決定までの経緯を含め、多くの人が関心を持ってきた。自分たちの五輪という感じ。おらが五輪というように、自分たちが関わっている感じがしますね」

 ―開催理念に東日本大震災からの復興を掲げます。

 「準備をして鍛錬し、チャレンジする精神の表れがスポーツ。何かにチャレンジすることを身近に感じられたら。それはプレーしない人にも競技をしない人にも前に進むことを教えてくれる。残念ながら震災が起きてしまったけれど、まだまだ乗り越え切れていないけれど、人々が力を合わせれば大きなことができる。その一つの象徴が五輪だ」
 「前回の五輪は終戦から20年ぐらいしかたっていなかった。それでも日本中が盛り上がり、復興のスピードが上がった。こんなことができるならもっとできるはず、と前に進んだ。その成功に関わった人はこの世におられなくなっているかもしれない。でもその経験は今に伝わっている。今回はもっと盛り上げようと、携わっている人たちは思っている。日本の底力、日本人の粋を世界中の人に見てもらいたい」

 ―震災から10年目の年でもあります。

 「震災の約1カ月後、釜石市の知人を訪ねた。高台に家があって被害はなかったが、私が行ったことで近隣の人たちが来られた。こちらが被害の深刻さにおろおろしているのに、地元の人たちは『俺たちがやらなきゃ』と復興の気持ちに燃えていた。戸惑うぐらいのすごさを感じた。営々と築いてきた物が波で消えてしまった。自然の力はどうしようもない。だが、人間の力はすごい。乗り越えようとする力がある限り、前に進むことができる」

 ―宮城ではサッカー、福島では野球とソフトボールが実施されます。

 「被災した人の大変さは想像できるけど、実際にどれほどだったかはその人でなければ分からない。われわれができるとしたら、せめて野球の開幕戦をそちらで開催すること。皆さんに『長い間ご苦労さまでした。よく頑張られましたね。これからも力を合わせて支えますよ』と伝わればいい。これは日本人の総意です。今回は東日本だったが、どこで何が起きるか分からない。何か起こったらみんなで力を合わせてやろうという意思の表れですよ」

 ―球界も力が入ります。

 「何としてでも金メダルを取りたい。ジャパンの選手たちは日の丸を付ければ燃える。選手たちもやる気を起こしているし、国民の皆さんもやってくれるだろうと期待する。昨年11月の国際大会『プレミア12』は自国開催のプレッシャーを乗り越えて優勝。選手たちも自信が付いたはずだ」
 「オールジャパンの場合は日の丸を背負った選手たちが粋に感じて、素直な気持ちで戦えば良い結果につながる。野球界の悲願は野球が五輪の正式種目としてずっと残ること。そのためにもこの大会を、五輪は野球抜きでは考えられないぞという大会にしたい」

 ―06年WBCは王監督の下、優勝しました。

 「急に開催が決まって急に始まった大会だった。一戦一戦やっていくうちにチームが結束していった。アジア予選の後は米国に行っていたので、国内がどれぐらい燃え上がっているか分からなかったから、プレッシャーもあんまりなかった」

 ―前回五輪の時は24歳でした。

 「1964年はシーズンが早く終わり、スポーツ紙の企画で開会式も、東洋の魔女がバレーボールでソ連を破った試合も、陸上男子100メートル金メダリストのボブ・ヘイズも見た。陸上は戦いなんだというのを自分の目で見た。あの頃、全てがテレビ放送されたのは一部の競技だけ。今度はITの発達でライブで試合を見られる。この50年でがらっと変わったなあ」

 ―五輪を2度見られますね。

 「運が良い。24歳の盛りで見られて、今もまだぼけていない。2回見られるのは貴重です」

 ―五輪で王さんを見たかったです。もし出場できるとしたら監督としてですか、それとも選手ですか。

 「それはやっぱり選手がいいでしょ。監督は大変なだけ。すごい選手ばかり集まるから、勝負に徹して試合に出れない選手とかが出てくると…。ペナントレースとは気の使い方が違う。出るなら選手ですよ」


2020年01月20日月曜日


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