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東日本大震災9年 海を見つめ鎮魂の祈り

慰霊のため被災地を訪れ、防潮堤から海を見つめる家族。あの日を振り返り、亡き人への思いを深めた=11日午前6時25分ごろ、仙台市若林区荒浜

 全国で2万2167人が犠牲となった東日本大震災は11日、発生から9年を迎えた。宮城県の死者は9543人、行方不明者は1217人、震災関連死は928人で1万1688人が犠牲となった。新型コロナウイルスの影響で追悼式の中止や縮小が相次ぐ中、県内の沿岸部では早朝から遺族らが鎮魂の祈りをささげた。

 兄の惣一さん=当時(85)=夫婦と、その息子夫婦を亡くした片桐寅夫さん(85)=仙台市宮城野区(宮城野区のなかの伝承の丘で)
 兄は4人兄弟の長男。優秀で家族をまとめる大黒柱だった。地震直後に体調が悪かった兄の家に向かい、家に息子夫婦もいたから「これなら大丈夫」と帰ったんだよ。まさかあんな津波が来るとは…。
 9年たっても忘れられない。俺もとうとう兄貴が亡くなった年齢になった。今は妻と一戸建ての災害公営住宅に暮らしている。みんなのことを見守ってほしい。

 妻の利子さん=当時(55)=と次女の真澄さん=当時(23)=を亡くした無職阿部好二さん(66)=名取市閖上(名取市閖上の慰霊碑前で)
 慰霊碑をなでて「2人の分も頑張って生きているよ」と伝えた。毎朝来ているので3月11日も365日のうちの一日。特別だとは思っていない。9年がたって10年に向かう通過点だ。
 自分も周りの人も年を取っていくが、頭の中は時間が止まっている。娘はパティシエの修業中だった。よくおいしいお菓子を食べさせてくれた。将来が楽しみだったのに…。

 夫の藤範さん=当時(64)=を亡くした主婦佐藤信子さん(68)=仙台市若林区(若林区荒浜の慰霊碑前で)
 毎年、3月11日は仙台市主催の追悼式に出席していたが、今年は中止なので、夫の名前が刻まれた荒浜の慰霊碑を訪れてみた。
 きちょうめんで真面目な性格の夫だった。単身赴任先の部屋でも換気扇まできれいにしていたほど。
 震災発生時、夫は若林区荒浜西の自宅に1人でいた。家族が一緒にいれば避難したのではないかと思う。9年がたったが、心の傷が癒えることはない。

 母の道子さん=当時(45)=が行方不明になった公務員佐藤迅さん(24)=宮城県大和町(宮城野区のなかの伝承の丘で)
 母はあの日、外出する予定があったのに、体調を崩して中学校を休んだ自分のため、宮城野区蒲生の自宅に残った。姉と自分が買い物のために外出した時、自宅が津波に襲われた。もし登校していたら、母も助かっていたはずだと、何度も自分を責めた。
 3年前に大和町職員になった。自立した姿を見せたかった。前を向き、社会の役に立てる人になりたい。

 長男の豊さん=当時(40)=を亡くした菅井公男さん(80)=岩沼市玉浦西(岩沼市下野郷の墓地で)
 息子は自動車整備の仕事をしていた。中学生の時、「1年分の小遣いをくれ」と言うので何をするのかと思ったら、バイクを買って解体した。昔からバイクや車の改造が好きだった。
 消防団員として避難を呼び掛け津波にのまれた。葬式には友達がたくさん来てくれた。今も誰かがをお供えしてくれている。
 月命日の墓参も最近は妻に任せきり。きょうは来たが、特別に報告することはない。困ったことも。いいことも。


2020年03月11日水曜日


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