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この海と生きていく 姉とおい亡くした漁業男性、命への思い歌に込め

「海に感謝し、命をつなぐのが漁師の仕事」と語る佐々木さん=2月19日、岩手県山田町の山田湾

 家族との突然の別れ、介護、借金。なりわいの先行きは見通せない。心が張り裂けそうだった。だから歌う。海に向かって−。
 岩手県山田町の漁業佐々木友彦さん(45)は、東日本大震災で姉阿部育子さん=当時(41)=とおい阿部尚貴さん=同(16)=を亡くした。「過去の記憶が全部消えた。喜怒哀楽も」
 あの日は山田湾の作業場にいた。長く大きな揺れに津波の襲来を直感し、寝たきりの父正胤(せいいん)さんがいる自宅へ急いだ。
 庭先で、代わる代わる正胤さんを介護していた育子さんに会った。「おじいやん、何ともねえよ」「あ、そう。分かった」
 短い会話を交わして育子さんは子どもを迎えに自宅へ向かった。その後、黒い波が町に押し寄せた。「あれが最後になるとは…」
 佐々木さんの自宅は無事だったが、男手一つでの介護の日々が始まった。浜は総出でがれき撤去に忙しいのに、思うように手伝えない。今も後ろめたさを引きずっている。
 自慢の大粒カキとホタテを養殖していた。元気だった頃の父と乗っていた漁船振興丸(2トン)は奇跡的に難を逃れ、エンジンキーを回すと一発で重低音が響いた。
 だが、山田湾はヘドロで変色していた。ホタテを口に含み、すぐに吐き出した。まがまがしい味がした。「この水は終わった」と感じた。
 湾内に26台所有していた養殖棚は流された。再建に借金がかさむ。怒りが沸々と込み上げた。
 2015年に正胤さんが87歳で他界。09年には母ヒメさん=当時(74)=を交通事故で亡くしている。辛苦にあらがって人生の再起を懸けたのは、やはり漁業だった。
 アカザラガイ。養殖ロープに付着するホタテに似た小さな貝だ。濃厚なうま味は漁師の間で知られていたが、傷みやすいと捨てられていた。
 新鮮なまま発送する技術を自ら考案し、市場の注目を集める。「漁業者が安心して暮らせる価格で流通できるようになってくれれば」と特産化に期待が膨らむ。
 そして、歌。ヒメさんの死を機に自作の曲を歌い始めた。12年には自主制作で「大漁旗(フライキ)を揚げろ」をリリースした。
 時代に翻弄(ほんろう)される漁業の厳しさをたたきつけるように歌う。「歌うのは自分自身を支えるため」。地元のイベントなどで披露する持ち歌は20曲に増えた。
 暮らし向きは依然厳しい。それでも山田湾はかつての姿に回帰しつつある。「海ってすごい」。わが身に降り注ぐ全てを糧に、この海で生きていく。
(宮古支局・佐々木貴)


2020年03月11日水曜日


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