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母の形見、朽ちる展示室 病床でも「資料守って」 帰れない浪江・津島

母親の形見の展示室を整理する茂さん。雨漏りがするため収蔵品にシートをかぶせた

 福島県浪江町の山あいの津島地区(旧津島村)は、東京電力福島第1原発事故で高線量の放射性物質が降り注ぎ、自由に立ち入りできない帰還困難区域の指定が今も解かれていない。古里があるのに、戻れない−。もどかしさと、悔しさを抱えて避難生活を続ける住民の苦闘の9年を追った。

 国宝級の文化財があるというわけでもない。
 並べられているのは、今は使われなくなった農耕具や養蚕の道具、釜など約600点。そんな小さな展示施設が、福島県浪江町昼曽根(ひるそね)地区にある。

 「昔の生活品展示室」。地元の佐々木ヤス子さんが創設し、1人で切り盛りした。東京電力福島第1原発事故で避難中、84歳で亡くなった。
 物持ちのいいおばあちゃんで有名だった。「3年保存すべし。いつか役立つ時がある」。しゅうとめの教えをしっかり守り、何でも捨てずに残した。
 5人の子どもを育て、体が不自由になった夫を献身的に介護した。66歳の時、1000万円かけて長年の夢だった展示室を自宅の畑に建てた。
 「嫁に来てから保存した大切な宝物です。広く社会の人々に見ていただきたい。後世にも残したい」。生前、自費出版した冊子に建設の経緯をつづった。
 建物は地域の学びの拠点として無料開放した。総合学習の一環で地元の子どもが時々訪れた。見学者が来ると、佐々木さんはうれしそうにマイクを握って収蔵品を説明した。
 充実した日々は、原発事故であっけなく奪われる。
 古里を追われ、二本松市の避難所を転々とした。避難中、地震で展示室の屋根瓦が半分ほど崩れ落ちたことを特に心配した。
 「お願いです。屋根だけは直してください。資料が駄目になってしまいます」。2011年6月ごろ、東電の清水正孝社長(当時)に手紙を送ったが、無視された。
 同年9月、膵臓(すいぞう)がんが見つかる。末期だった。原発事故で十分な検診を受けられず、発見が遅れたと思うと悔しさが募った。
 病状が悪化して入院しても、展示室のことをいつも口にした。「気掛かりなのは展示室。何とか守ってほしいの」。見舞いに訪れた次男茂さん(65)に何度も頼んだ。
 歌謡曲「相馬恋しや」を聴き、ぽろぽろと涙を流した。12年6月、古里への帰還の夢を果たせずに天国へ旅立った。

 展示室の屋根は今も修理されないままだ。一帯が高線量の帰還困難区域に指定され、業者が入れずにいるためだ。瓦が落ちた屋根からは雨漏りし、収蔵品はぬれて腐食してしまった。
 「一体どうすればいいんだ」
 かび臭い展示室に足を踏み入れるたび、茂さんは心を痛める。放置が続けばさらに傷みが進む。母親が最期まで気に掛けた地域の宝を、どう次世代につなげばいいのか。手詰まり感を深め、途方に暮れている。
 せめて、東電の社員に現場を見てもらいたい。そう思っている。
 「賠償が欲しいとか、そういう問題ではない。おふくろが守り続けた資料をどのように保存すればいいのか、一緒に考え、協力してほしい。それだけなんだ」
(福島総局・神田一道)


2020年03月03日火曜日


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