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声を失っても… 声帯治療後も手話で交流 通訳者が目標

サークル仲間と手話で会話する和田さん(右)=仙台市若林区中央市民センター

 自分の意思や要求、感情を相手に伝える「声」。病気や障害のため、その身近なコミュニケーション手段を奪われた人たちがいる。「失声」を受け入れ、共に生きる宮城の人たちの挑戦と決断の日々を追った。
(報道部・石川遥一朗)

 2003年秋。仙台市宮城野区の無職和田真(みち)子さん(47)は自宅で突然、声を失った。
 1人暮らしだが、食事の後は必ず「ごちそうさま」と言うのが習慣。だが、その日は夕飯を食べ終えると声が出なくなった。のどから漏れる空気の音がかすかにするだけ。息苦しさを感じた。
 耳鼻科を受診すると「声帯に異常はない。精神的なもの」と診断された。精神科で精神安定剤を処方されたが、症状は改善しなかった。体調がいい日はかすれ声を振り絞れるが、悪い日は全く声が出なかった。
 「異常は無いのに思うように声が出ない。自分は駄目な人間だ」。活発な性格だった和田さんが、自らを追い詰めるようになった。
 中学校時代は女子ソフトボール部の主将。練習で大声が出せないとコーチに怒られ「もっと出そう」と仲間を鼓舞した。「はっきりと大きな声で話すことが大切」とずっと考えてきた。
 回復の兆しもなく1年が過ぎたころ、周囲とコミュニケーションを取るために、独学で手話の勉強を始めた。日常会話は問題なくできるようになり、05年12月、市内の手話サークル「火曜クラブ」に参加した。
 約20人が集う場は静かだが、手話で和気あいあいと会話する仲間の表情は豊かで明るく、声が出ずに落ち込んでいる自分とは正反対だった。「前を向く元気をもらった」と振り返る。
 「けいれん性発声障害」。そう診断されたのは入会の翌年。聴覚障害者のソフトボールチームで練習中に打球が顔面を直撃し、ほおを骨折するけがを負った。
 東北大病院(仙台市青葉区)で目や鼻の精密検査を受け、声帯の異常な動きが分かった。原因不明で、2年以上も苦しんだ病。「治療法はある」と耳鼻咽頭科の医師に言われ、涙があふれた。
 06年夏、専用器具を喉頭の軟骨に装着し、声帯を広げる手術を受けた。かすれ声ながら、声が全く出ない日はなくなった。5年間、病院で発声練習し、以前のような声を取り戻した。
 手話サークルの活動は今なお続けている。声の調子が悪い日は無理せず手話を使う。最近は手話通訳者になることが目標。「立ち直るきっかけをくれた手話を使い、聴覚障害者の役に立ちたい」と目を輝かせる。

[けいれん性発声障害]声を出そうという意志とは無関係に、声帯が異常に動く原因不明の病気。声が詰まったり、かすれたりし、症状が重いと全く出なくなる。声帯に見た目の異常はなく、正しく診断されるまで何年も悩む患者が多い。一般社団法人SDCP発声障害患者会(東京)によると、全国の患者数は推定約1万人。


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2020年03月25日水曜日


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