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太宰の「津軽」を歩く (1)蟹田・観瀾山

観瀾山からの景色。手前が文学碑=5月7日、外ケ浜町蟹田
太宰も食べたトゲクリガニ=5月1日、青森県外ケ浜町蟹田

 太宰治は1944年初夏、津軽を旅し、その足跡を自伝的小説「津軽」に刻んだ。39年の生涯で唯一となった古里を巡る旅を通じ、彼は何を感じ、何を残していったのか。75年余の歳月を経た新緑の津軽を訪ね歩いた。
(青森総局・荘司結有)

 5月13日朝、青森駅に降り立った太宰は、N君が暮らす蟹田町(現外ケ浜町蟹田)行きのバスに乗った。
 N君とは旧制青森中時代からの親友、中村貞次郎のこと。会社勤めをしていた東京から古里に戻り、当時は蟹田町の町会議員をしていた。
 再会を果たした翌日、太宰は貞次郎と共に港近くの観瀾(かんらん)山に足を運んだ。当時は5月でも桜が咲いていたようだ。

 花弁も薄くすきとおるようで、心細く、いかにも雪に洗われて咲いたという感じ

 太宰は大好きな酒や地元で水揚げされるトゲクリガニをごちそうになり、花見を楽しんだ。ただ、同席者が他の文学者を褒めるのに嫌気がさし、酔いに任せて悪態をついてしまう。
 観瀾山には太宰の文学碑が立つ。貞治郎の尽力で、太宰が亡くなった8年後、56年に建てられた。
 外ケ浜太宰会の石田悟会長(66)によると、海岸にあった岩が碑に使われた。中学時代、貞次郎の帰郷に同行した太宰が腰掛け、2人で将来を語り合った岩だった。
 除幕式では碑に茶を供える「献茶」が予定されていた。「彼に茶は合わない」。貞次郎はそう言って、酒を注いだ茶わんを碑にささげたという。
 貞次郎宅に泊まった時、戸障子を揺らす強い風が吹いていた。その時の印象を太宰はこう記した。

 「蟹田ってのは、風の町だね」

 観光施設「風のまち交流プラザ・トップマスト」、「風のまちこども園」、交通安全標語「笑顔で走る風の町」…。つぶやきは、町の代名詞となって息づいている。

[津軽]太平洋戦争末期の1944年11月に小山書店から「新風土記叢書(そうしょ)」の第7編として刊行された。東京に住んでいた太宰は同年5月13日に青森市に入り、6月5日まで津軽地方を旅した。風景とともに、友人や家族らとの交流を描いた。


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2020年06月19日金曜日


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