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太宰の「津軽」を歩く (2)今別・本覚寺

太宰が立ち寄った本覚寺の本尊=5月28日
牧野さんが発泡スチロールで再現した2尺のタイ=5月28日

 太宰治は1944年初夏、津軽を旅し、その足跡を自伝的小説「津軽」に刻んだ。39年の生涯で唯一となった古里を巡る旅を通じ、彼は何を感じ、何を残していったのか。75年余の歳月を経た新緑の津軽を訪ね歩いた。
(青森総局・荘司結有)

 太宰は「N君」こと親友の中村貞次郎と共に津軽半島を北上し、今別町を目指した。前日に一緒に花見をしたMさん宅に立ち寄り、配給の酒を飲む。
 ほろ酔いの3人は本覚寺に向かう。人々の救済に尽くした5代住職貞伝上人で知られる古刹(こさつ)だ。
 本堂に上がり、当時の住職の妻から説明を受けた太宰は、酔った貞次郎の度重なる質問のせいで延々と話を聞く羽目になる。

 N君は、ひとり熱狂して膝をすすめ膝をすすめ、ついにはその老婦人の膝との間隔が紙一重くらいのところまで進出して、一問一答をつづけるのである

 ようやく寺を後にした3人が三厩村(現外ケ浜町三厩)の丸山旅館(廃業)に着いたのは、日暮れ近く。晩酌を始めた後に、さらに一騒動が起きる。
 太宰は今別で買った2尺(約60センチ)のタイを丸ごと焼くよう女中に頼んだ。ところが、出てきたのは五つの切り身。

 私はそれを一尾の原形のままで焼いてもらって、そうしてそれを大皿に載せて眺めたかったのである。(中略)いま思い出しても、あの鯛は、くやしい

 太宰の足跡を調べた元村役場職員牧野和香子さん(68)は一昨年、タイを切ってしまった女中を突き止めた。旅館に住み込みで働いていた三厩の女性という。
 「広い台所がある太宰の実家では一匹丸ごと焼けたかもしれないが、小さな旅館では尾頭付きで焼くことは難しい。冗談だと思って切り身にしたのでは」
 調査のいきさつや女中の人となりは、地元の歴史愛好家たちの研究誌にまとめられた。ささやかな旅のエピソードが今別の歴史に彩りを添えている。


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2020年06月20日土曜日


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