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太宰の「津軽」を歩く (3)三厩・龍飛崎

屋根が重なり合うように家々が密集する龍飛崎近くの集落=5月28日
「津軽」の一節が刻まれた文学碑。奥に北海道が見える=5月28日

 太宰治は1944年初夏、津軽を旅し、その足跡を自伝的小説「津軽」に刻んだ。39年の生涯で唯一となった古里を巡る旅を通じ、彼は何を感じ、何を残していったのか。75年余の歳月を経た新緑の津軽を訪ね歩いた。
(青森総局・荘司結有)

 津軽半島を北上し、太宰は龍飛崎を目指した。

 ここは、本州の極地である。この部落を過ぎて路は無い。あとは海にころげ落ちるばかりだ。路が全く絶えているのである

 「N君」こと中村貞次郎と共に、強い浜風と雨に逆らって歩き続ける。

 路がいよいよ狭くなったと思っているうちに、不意に、鶏小舎(とりごや)に頭を突込んだ

 たどり着いた三厩村(現外ケ浜町三厩)の龍浜集落は、海岸線ぎりぎりに小さな家々がひしめき合っていた。その様子を太宰は「鶏小舎」と表現をした。
 青函トンネル建設を機に海岸を埋め立て国道339号が整備され、集落沿いの道は格段に広くなった。それでも家々は今も身を寄せ合うように軒を連ね、当時の面影を漂わせている。
 宿に落ち着くやいなや、太宰は女将(おかみ)に酒を運ばせる。太平洋戦争中で、酒は配給制。女将は近所から一升瓶をかき集めるものの、瞬く間に飲み干してしまう。
 2人が投宿した奥谷旅館は廃業後、観光案内所「龍飛館」に改装されて残る。酒盛りした部屋には酒瓶やお膳が置かれ、旅の場面が再現されている。
 龍飛館の向かいには、小説の一節を刻んだ文学碑が海を背にして立つ。

 ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌(めいき)せよ

 外ケ浜太宰会の石田悟会長(66)によると、碑はかつて集落の北の外れにあった。時期や経緯は不明だが、集落の南側にある現在の場所に移設された。
 「以前の場所はまさに『本州の袋小路』のイメージ。太宰が描いた最北の情景にぴったりだったのだが…」。石田さんは残念がる。


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2020年06月21日日曜日


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