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太宰の「津軽」を歩く (4)金木・岩木山

太宰が立ち寄った旧修練農場(弘前大金木農場)付近から望む岩木山=5月26日
岩木山にまつわる文学作品を紹介する弘前市郷土文学館の企画展=9日

 太宰治は1944年初夏、津軽を旅し、その足跡を自伝的小説「津軽」に刻んだ。39年の生涯で唯一となった古里を巡る旅を通じ、彼は何を感じ、何を残していったのか。75年余の歳月を経た新緑の津軽を訪ね歩いた。
(青森総局・荘司結有)

 龍飛崎から戻った太宰は、金木町(現五所川原市金木町)の実家に足を向けた。めいや下男らと町内の高流(たかながれ)山に散策に出て、「津軽富士」こと岩木山(1625メートル)を褒めたたえる。

 富士山よりもっと女らしく、十二単衣(ひとえ)の裾(すそ)を、銀杏(いちよう)の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮んでいる。決して高い山ではないが(中略)透きとおるくらいにせんけんたる美女ではある

 人々が「お岩木様」と呼ぶ、古くから信仰の対象だった津軽のシンボル。太宰は旅の方々でその姿を追い、情景をしたためた。

 弘前から見るといかにも重くどっしりして、岩木山はやはり弘前のものかも知れないと思う一方、また津軽平野の金木、五所川原、木造(きづくり)あたりから眺めた岩木山の端正で華奢(きやしや)な姿も忘れられなかった

 太宰をはじめ、多くの文人が岩木山にまつわる文章を残している。弘前市郷土文学館で開催中の企画展は、県内外の作家が岩木山を描いた作品を紹介する。
 徳冨蘆花は「まだ雪を見ぬ岩木山は、十月の朝日に桔梗(ききょう)の花の色をして居る」と描写。弘前市出身の長部日出雄は「不変にして不動の岩木山こそ心の原点」と山への愛情を表現した。
 企画展を担当する櫛引洋一さん(64)によると、中央文壇の作家はその美しさを彩り豊かな言葉で表現する。一方で、津軽文士たちは自身の心や生活と結び付けて表現する傾向が強いという。
 太宰はどうか。櫛引さんは「東京での暮らしが長かったからか、『旅人』の視点で景色そのものの美しさを描いている」と指摘する。

[津軽]太平洋戦争末期の1944年11月に小山書店から「新風土記叢書(そうしょ)」の第7編として刊行された。東京に住んでいた太宰は同年5月13日に青森市に入り、6月5日まで津軽地方を旅した。風景とともに、友人や家族らとの交流を描いた。


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2020年06月23日火曜日


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