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太宰の「津軽」を歩く (5)金木・鹿の子滝

太宰が文治らと訪れた鹿の子滝=5月25日
青森県五所川原市内の山中に残る津軽森林鉄道の鉄橋=8日

 太宰治は1944年初夏、津軽を旅し、その足跡を自伝的小説「津軽」に刻んだ。39年の生涯で唯一となった古里を巡る旅を通じ、彼は何を感じ、何を残していったのか。75年余の歳月を経た新緑の津軽を訪ね歩いた。
(青森総局・荘司結有)

 前日に続き、太宰は金木町(現五所川原市金木町)内に散策に出かける。長兄の文治が一緒だった。一行は鹿の子滝に向かう。

 軌道の枕木の間隔が、一歩には狭く、半歩には広く、ひどく意地悪く出来ていて、甚(はなは)だ歩きにくかった

 太宰たちは津軽森林鉄道の線路をたどった。名産の青森ヒバを運んだ鉄道は1967年に廃線となり、軌道跡は青森市まで延びる県道となっている。

 兄とこうして、一緒に外を歩くのも何年振りであろうか

 父が急死し、若くして家督を継いだ文治。県議や衆院議員を務め、後に民選初の県知事となった。背を丸めて歩く兄の姿に太宰は複雑な思いを抱く。

 私は兄から、あの事件に就いてまだ許されているとは思わない。一生、だめかも知れない。ひびのはいった茶碗(ちやわん)は、どう仕様も無い

 「あの事件」とは、東京帝大在学中に起こした鎌倉での心中未遂のようだ。兄が政界で躍進する陰で、弟は非合法の左翼運動に走って挫折した揚げ句、薬物中毒にも陥る。
 文治は太宰が問題を起こすたびに後始末に追われた。生家「斜陽館」スタッフの今幸樹さん(47)は「文治さんにとって太宰は『目の上のたんこぶ』で、悩みの種だった」と推し量る。
 兄への思いを巡らせるうちに水音が近づき、一行は鹿の子滝に着いた。散策を楽しむ様子で、金木の描写は幕を閉じる。
 4年後。太宰は愛人と入水心中し、生涯を終えた。金木での小旅行は、わだかまりが解けぬまま別れた兄弟がつかの間の平穏を共有したひとときだった。


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2020年06月24日水曜日


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