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強制不妊訴訟 「こんな結果とは」仙台出身の原告「命ある限り闘う」

判決後の記者会見で落胆した表情を見せる原告男性=30日午後4時ごろ、東京都内

 旧優生保護法下で不妊手術を強制されたとして、東京都の男性(77)が国に3千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は6月30日、請求を棄却した。
 裁判長が請求棄却の主文を言い渡すと、原告男性は肩を落とした。表情を変えないまま、視線を宙に泳がせた。
 男性は「こんな結果になると思っていなかった。除斥期間の経過で請求が認められず、体が震えた」と失望を隠さなかった。
 優生手術被害者・家族の会の共同代表を務める。仙台市出身。障害がないにもかかわらず、宮城県内の児童自立支援施設にいた時に手術を強いられた。14歳だった。
 数カ月後、子を持てなくする手術だったと知らされ、同じ境遇の仲間と施設の物陰で泣いた。「(手術直前に会った)父と施設に体をめちゃくちゃにされた」と思い込み、宮城を離れ上京した。結婚はしないつもりだった。
 縁談があり、結ばれた妻が親族の子をいとおしそうに抱く姿を見るたび、胸が締め付けられた。妻が2013年に亡くなる直前まで、手術を強制されたことを伝えられなかった。「だまし続けてきたことが苦しかった」と言う。
 18年1月、強制不妊手術を受けた宮城県の女性を巡る報道で、手術は国策だったと知った。「国に被害者一人一人の苦しみに向き合い、責任を痛感してほしい」と同5月に提訴した。
 「一人でも多くの人に被害を名乗り出てほしい」と顔を公表して声を上げ、つらい思いもした。それでも、同じ痛みと向き合う全国の仲間と励まし、支え合い、判決の日を迎えた。
 被害者・家族の会の共同代表を共に務める宮城県の飯塚淳子さん(70代、活動名)とは、互いの裁判を行き来し、激励し合ってきた仲だ。
 「私には時間がない」。被害を訴え約20年になる飯塚さんから最近、電話で聞いた言葉が重く響いた。
 飯塚さんらが原告となった昨年5月の仙台地裁判決は旧法を違憲としつつ、除斥期間の規定を適用するなどし、請求を棄却した。
 「勝訴判決が出れば、みんなを勇気づけられる」と信じて今日という日に臨んだ分、東京地裁の判決に対する落胆は大きかった。
 「妻や親に何と報告したらいいのか。整理がつかない」。男性は判決後の記者会見で複雑な胸中を明かしつつ「命のある限り闘い、何が何でも国に打ち勝つ。この苦しみを、墓場まで持っていきたくない」と前を向いた。


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2020年07月01日水曜日


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