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太宰の「津軽」を歩く(8)西海岸・車窓から

夕焼けの下に広がる十三湖=12日
ゴツゴツとした岩棚が続く千畳敷海岸=12日

 太宰治は1944年初夏、津軽を旅し、その足跡を自伝的小説「津軽」に刻んだ。39年の生涯で唯一となった古里を巡る旅を通じ、彼は何を感じ、何を残していったのか。75年余の歳月を経た新緑の津軽を訪ね歩いた。
(青森総局・荘司結有)

 古里の金木町(現五所川原市金木町)や父が育った木造町(つがる市木造)を巡った太宰は、五能線で津軽平野を越え、西海岸へ向かう。車窓から深浦町の名勝、千畳敷海岸を眺める。

 またその岩盤のところどころが丸く窪(くぼ)んで海水を湛(たた)え、あたかもお酒をなみなみと注いだ大盃みたいな形なので、これを盃沼(さかずきぬま)と称するのだそうだけれど、直径一尺から二尺くらいのたくさんの大穴をことごとく盃と見たてるなど、よっぽどの大酒飲みが名附けたものに違いない

 風景を軽やかな筆致で紡ぐ一方、「国防上」を理由に詳細な描写を避ける場面もある。ゆかりも訪ねる人もないためか、西海岸の記述は他と比べ実にあっさりとした印象を受ける。

 私などただ旅の風来坊の無責任な直感だけで言うのだが、やはり、もうこの辺から、何だか、津軽ではないような気がするのである

 西海岸を足早に周遊した太宰は翌日、旅の最終目的地である小泊村(現中泊町小泊)へと向かう。

 このたび私が津軽へ来て、ぜひとも、逢ってみたいひとがいた。私はその人を、自分の母だと思っているのだ

 小泊には、幼少期の太宰が母のように慕った子守の越野タケが暮らす。バスに揺られる太宰。その面前に、津軽平野の北端に位置する十三湖が広がった。

 人に捨てられた孤独の水たまりである。流れる雲も飛ぶ鳥の影も、この湖の面には写らぬというような感じだ

 しんと静まりかえる水面にどんな心境を投影させたのだろうか。小泊が、近づいてきた。


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2020年07月01日水曜日


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